menu

 お問い合わせは掲示板メールでどうぞ。

 プロレス雑誌の表紙集のギャラリーページも見てね。

 ツイッター twitter も見てね。

新着情報

4.4東京ドーム「猪木引退」(2019/4/4)

19980404猪木引退

 今日は何の日?的な更新その2です。

 4.4と言えば「猪木引退」。

 東京ドームへはプロ野球やアメフトなどの仕事で何度も行きましたが、「猪木引退」が私の東京ドーム経験では史上最高の熱気を感じた大会です。リング上もさることながら、観客の熱気ですね。ショートタイツと赤タオル姿の「ニセ猪木」が、開演前から客席のあちらこちらに出現。ざっと見ても10人以上はいました。そしてそれぞれブロックの客席に向かって「1・2・3・ダーッ!」を繰り返す。振られた客もちゃんと「ダーッ!」と声をそろえて叫ぶ。これがあっちでもこっちでも延々と続いていた記憶があります。

 それから何度となく発生する観客によるウェーブ。巨人戦とかでも時々見かけますが、ドームの観客席を一周するのがせいぜいです。問題はバックスクリーンの観客のいないエリア、オーロラビジョンのあたりで、どうしてもウェーブが途切れてしまうのです。ところが「猪木引退」のこの日のウェーブは何度となくバックスクリーンを越えて続きました。そしてバックスクリーンを越えるだけで毎回大歓声が沸き起こりました。記憶が定かではないですが、7~8周ぐらいは続いたように思います。

 あとはラストメッセージの「道」。言い間違いもそのまま「猪木のことば」にしてしまう強引さも猪木らしいですね。

19980404_inoki_ad

 「猪木引退記念ビデオ」発売のチラシです。

 こんなチラシも捨てずに保存しているとは、つくづくおバカだなと思います。もったいないことに何年か前にSCANして捨てました。よく考えれば「メルカリ」とかで売れたのになぁ、などとも思いますが、オークションとかにあまり興味がなかったもので。このホームページ自体、実は「自炊のススメ」のページなので、データ化して処分するというのは基本理念であります。久しぶりに見たいな、とふと思った時に自炊してあれば、ほんの数秒でPC画面上に取り出せます。これが「紙」で保存されていたら、いくら大切にしていたとしても大量にありすぎて、一生見ることも無いのではと思います。

 

 さて、このチラシを手にした私はすぐさま「レーザーディスク」版を予約しました。「VHSビデオ」なんていつか劣化して見ることが出来なくなってしまう、やっぱりこれからの時代は「レーザーディスク」でしょう、と「永久保存」できる「レーザーディスク」をチョイスしました。今やただの光った円盤になってしまいました。現在はすべての資料をPCのハードディスクに格納していますが、HDDって何?っていう時代が来るんですかね。

 で、猪木引退の件ですが、私的には実質的な猪木引退試合は1989.2.22両国国技館の長州戦だと思っています。ソ連が初参戦した大会です。そのあとのチョチョシビリ戦がオマケのようなもので、政界進出の時点でもうプロレスラーとしてトップを走るアントニオ猪木は終わったと感じました。

 ただ、そのあとの十年間、リング上で猪木が見せた姿も凄かったと思います。力が落ちてきたら落ちてきたなりの試合で十分に魅せてくれました。何一つ良いところが無かった「ゴルドー/スティング戦」、ベイダーから受けた投げっぱなしジャーマンなど、こういう見せ方があるのか、と猪木プロレスの引き出しの多さに毎回驚かされました。(時々ハズレもありましたが)

 4.4東京ドームの引退試合の相手はできれば「小川」が猪木をKOするか、「藤波」あたりと過去の試合へのオマージュのような試合を期待していたのですが、予想に反して「ドン・フライ」戦でした。多くのファンが最終戦は「ドン・フライ」になるとは思っていなかったでしょう。最後までファンの期待を裏切る猪木だと思いました。そこがいいんです。

 その後、素直にプロレス界か身を引くと思っていたら「UFO」設立。これも驚き。そして新日本プロレスにケンカをふっかけたのは、テーマがなくなりつつあった新日本プロレスに新たな展開をもたらすための創業者猪木の最後のプレゼントだったのに、新日本プロレスはUFOを全く生かすことが出来ずに抗争は終了してしまい残念でした。猪木-新間ラインならこれで2年ぐらいは引っ張ることが出来ただろうに。

 今日はこんな脈絡のない記憶を思い起させる「4.4」という数字でした。


Favorite Cafe 喫茶店トーク

I編集長・喫茶店トーク

 

inserted by FC2 system