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1981.4.23 蔵前国技館NWF王座返上の日(2019/4/29)

4.23蔵前
4.23蔵前

 4.23と言えば、1981年の新日本プロレス 蔵前国技館です。

 最後のNWF戦の日。スタン・ハンセンとのNWF王座決定戦が蔵前国技館で行われました。もう、王座を返上すると言うことは知れ渡っていたので「王座決定戦」という試合に少し違和感を覚えました。ハンセンが勝ったら「返上」するんだろうか?と。ただ、当時はハンセンも「IWG」(まだ、IWGPと言ってはいなかったんですね)に参戦するものだと思っていたので、ハンセンが勝っても返上だろうな、などとも考えていました。それでもNWFのストーリーは猪木が最後のチャンピオンじゃ無いと終われないので、観客とテレビの前の人たち全員が猪木の勝ちを前提で見ていたはずです。

 結果もその通り、猪木の大勝利でめでたしめでたし。当時はまだ、予想通りの展開・結末、っていうのが結構多かったですね。その数年後から失神KO負けとか暴動にいたる乱入劇とか、予想を裏切る結末となる試合(大会)がでてくるようなりました。この最後のNWF戦で「アントニオ猪木KO負け!」みたいなことをやって見せたら、相当衝撃的だったことでしょう。でも、そんなことをやったとしたら猪木は新間さんや坂口さんに相当怒られちゃうでしょうね。佐川清さんもお金を貸してくれなかったかもしれません。なんてことを妄想したりします。

 予想を裏切られる展開は大好きですが、やはり麻薬みたいなもの。最初の内は面白くても、だんだんそれが無いと物足りなくなるという中毒性がありました(少なくとも私には)。やっぱりその「麻薬」のような展開に頼り始めてから、当時の新日本は壊れて行ったんだと思います。壊れて行きながら1989年の猪木引退(私の中では)の年を迎えるまでの新日本プロレスは、そこがまた一つの興味をひく部分でもありました。

 週刊ファイトは4.23蔵前国技館の大会をなんと5ページも使って伝えています。ハンセンのインタビューを含めると全部で7ページも。猪木新聞と言われてしまうはずです。この日は初代タイガーマスクがデビューした日でもありますので、そちらの方が印象深い方もいらっしゃることと思います。ただまだこの時は、「正体は誰?」みたいな記事が中心で、その後の大活躍までは予想されていませんでした。私も単なる客寄せパンダ(タイガー)ぐらいにしか考えていませんでした。

 NWF戦の全戦績が掲載されていたので、転載してみました。

4.23蔵前
4.23蔵前

 (週刊ファイトNo.697より写真転載)


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 今日は何の日?的に更新しようと思っていましたが、なかなかできなくて、「このあいだは何の日?」になってしまいました。

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