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1987年9月7日の東京スポーツで「ビートたけし、プロレス新団体」と報道(?)されました。そして、9月11日未明の「ビートたけしのオールナイトニッポン」で新人レスラーの一般公募が告知されました。番組の中でもこのプロレス団体「TPG」がおふざけでは無いことを再三にわたって強調していたとのことです。そして猪木もたけしの新団体に興味を示しているとの怪情報も。
この後日談については、ビートたけし自身がテレビ番組で語っていました。123da氏のブログ「見たくない奴は見に来るな!」に詳しく書かれています。
http://igf123da.blog.jp/archives/1662664.html
この頃、新間さんが猪木のブレーンとして復活していたのですね。「スポーツ平和党」の参議院選で電撃和解したとばかり思っていたのですが、その2年も前からヨリが戻っていたのだと知りました。
123da氏のブログの中で「イヤーエンド国技館」の大会で暴動へとつながる当日のカード変更について、藤波とミスター高橋の証言の食い違いが指摘されています。アントニオ猪木が「お客さん、どーですか?」と言って強引にカード変更をしてビッグバン・ベイダーの挑戦を受けたのは予定通りの進行だったとしても、その前にまず長州とシングルで闘ったあとベイダーと闘うことも決まっていたんでしょうか?観客が騒ぎ出したから急遽「猪木vs長州」が組まれたんでしょうか?事情通の方はご存じかもしれませんが、そのあたりが今でも私の中では謎のままです。TPGについて面白い話が聞けそうなマサ斎藤さんもいなくなっちゃったし。
30年も40年も昔の出来事についての証言がそれぞれの人の立場によって変わってくるのは仕方の無いことですが、それでも関係者のみなさんがご高齢なので、聞ける話は今のうちに聞いておきたいものです。
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