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1974年はアントニオ猪木の大物日本人対決路線が新日本プロレスの大ヒット企画でした。3月にはストロング小林戦、4月には第1回ワールドリーグ戦で坂口征二との対戦が実現。
そして10月10日、猪木のデビュー戦の相手だった大木金太郎の一騎打ちが行われました。日プロ崩壊に至る経緯からの猪木への怨念、そして挑発を続ける大木、無視を決め込む猪木という構図に、この二人の喧嘩マッチムードが煽られました。
ゴング前のレフリーチェック時の右パンチは厳密に言えば「反則」じゃないの?。しかしながら試合開始前に「反則負け」は適用されないと言う解釈。昭和プロレスは奥が深い。
原爆頭突きを真っ向から受けて立ち、「もっと打ってみろ!」と言う猪木のパフォーマンスは最高の名場面ですね。試合中にこんな写真を撮らせることができることこそが、アントニオ猪木の真の実力です。
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「原爆頭突き」、今となっては不適切な表現ですね。