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2019年3月放送 至高の昭和プロレス名勝負列伝~伝説の貴重映像・一挙公開「オープン選手権」~ のカードが発表されました。(2019/2/28)

久しぶりに「東スポ」(2019/2/20の話)

「死ぬこと以外かすり傷」箕輪厚介

 「ジャイアント馬場 没後20年追善興行」の翌日、2月20日(水)のお話。「東スポ」の一面大見出しがプロレスなら買おうと思い、キオスクで新聞立てを眺めると「猪木劇的和解」だったので即購入しました。「東スポ」を買うのは何年ぶりかわからないぐらい久しぶりでした。

 「これは夢なのか。馬場さんの追善興行で“炎のファイター”が鳴り響いた」をという一文だけでも、「あー、行きたかったー」と悔しい気持ちでした。

 猪木はリングに上がらず、リング下で「1、2、3、ダー」とやったとのこと。ブッチャーの引退式にも最後の集合写真にも写っていない。I編集長ならこの事実だけでファイトの紙面2ページぐらい書いちゃうんだろうなと思います。「馬場追善興行、2つの謎」「プロレス者はこの難解な回答を・・・・」みたいな感じで。

 ひとつは、猪木自身が自分がリングに上がることでこの興業が別物になってしまうことを避けたかった。馬場への最大限の敬意だったのでしょう。リング上で「ダー」をやってしまうと、猪木興業になっちゃいますからね。

 そして集合写真に入らなかったのも、馬場への特別な思いがあったから。2人の関係はみんなで「ヤア、ヤア」と顔を合わせて懐かしむようなものでは無い、もっと強い絆で結ばれていたのだと思います。リング上の選手として、そして新日と全日の興業会社的は本気で対立して競い合っていましたが、根底では兄と弟のような感情があったのでしょう。そう思いたいですね。だから他のレスラーと一緒してほしくは無いという気持ち、そして自分がでしゃばっては良くないという気持ちからの振る舞いだったのだと思います。だから本当のところは「猪木劇的和解」でもなんでも無いと思います。“プロレス界”的には「和解」で間違いないですが。

 そしてもう一つの理由は、現実的に相当「腰が悪い」のではないでしょうか。とてもロープをくぐってリングインできる状態では無い、そんな姿をファンに見せたくないという猪木のプライド?。猪木ファンとしては去年の北朝鮮訪問の頃からの猪木の体調がとても心配です。

 そんなことを考えながら、久々の「東スポ」を読みました。


Favorite Cafe 喫茶店トーク

I編集長・喫茶店トーク

 三途の川で馬場と闘うのは、もうちょっと待って欲しい。結局「馬場追善興業」の感想が「猪木」の感想になってしまいました。馬場さん、すみません。

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