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猪木氏はテレビニュースのインタビューでこう答えています。
「フセイン大統領に対して批判するのでは無く、大意という大きな目的の中に“半歩下が
る勇気”というか、私がリングで体験してきた戦術というか、そういうものを(フセイン大統領に)是非伝授したい」と。
これは、猪木氏がイラクの湾岸危機の解決策としてイラクの側に立って本気で考えていた戦略でした。アメリカ・日本・国連の立場からではなく、イラクの立場に立ってみる、猪木の懐の深さです。まさに「三国志」の“戦わずして勝つ”という知恵を使うことをフセインの息子や側近との階段で働きかけていたのです。「イラクが一夜にしてクェートから兵を引く、そうすれば一転して国際世論はイラクを賞賛する」という考え方です。まさに闘いの駆け引き、プロレスのリングで観客を引きつける理論を国際政治ににも利用できると考えていました。
言われてみれば全くもってプロレス的手法ですが、猪木はそうやってファンを手のひらに乗せてきたのです。もしフセイン大統領にそれが出来ていたら歴史は変わっていたかも知れませんね。
“スポーツと平和の祭典”の二日目、サダム・アリーナで行われたプロレスのカードは以下の通りでした。
■演武
正道会館・青柳館長
バット折りデモンストレーション
■第1試合
獣神サンダーライガー vs 星野勘太郎
■第2試合
栗栖正伸 vs バッドニュース・アレン
■第3試合(メインイベント)
長州力&マサ斎藤 vs 馳浩&佐々木健介
イラク遠征を承諾していたタイガー・ジェット・シンはビザの取得が間に合わずキャンセル。また猪木信者だった橋本真也も参加する気満々でしたが、11月28日の博多スターレーンの試合で右膝を負傷して遠征をキャンセル。そして猪木自身も足の傷みにより出場出来ず、試合カードがちょっと弱くなってしまった感はあります。
しかし、100%命の保証がされているわけでは無いイラク遠征に同意したレスラーの面々、スタッフ、関係者に「お前は男だ」と言いたい気持ちです。彼らこそ、猪木イズムの継承者です。星野勘太郎、マサ斎藤、アレン、当時の話を聞きたかったなぁ。
アントニオ猪木は、12月13日、新日本プロレス「バトルファイナル'90」両国国技館のリングでプロレスファンにもしっかりと帰国の報告を行いました。
「本当はこのリングにもイラクのリングにも上がる予定だったんですが、出来ませんでした。しかし他の選手たち、スタッフ、関係者たちが平和を願って心から頑張ってくれました。このイベントを遂行できたことは、みんなの心がひとつになって結果が出たのだと思います。私もこれからまた、体調は不十分ですが頑張って行きたいと思います。この1年のご声援、ありがとうございました」
当時の猪木、カストロ議長との会談も実現し、今度はイラク・フセイン大統領に直談判しようとする、まさにプロレスラー・闘う国会議員でした。
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「不沈艦」スタン・ハンセンの日本プロレスへの思い(日刊スポーツ) https://t.co/baSxiN8fWz
— プロレスTODAY (@ProresuToday) December 1, 2019
人質解放は偶然、猪木のイラク訪問と重なっただけとか、石油の利権が目当てだったとか、中傷する声もありますが、そんなことは「関係ねえよ」とさらっと言える猪木氏。
「俺を叩くことで商売になるんなら、それはそれで良いんじゃねえの?」
カッコいい!!