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■1975.12.11 東京・蔵前国技館
NWF世界ヘビー級選手権試合 60分3本勝負
アントニオ猪木 vs ビル・ロビンソン
「力道山13回忌追善合同大会」に参加せず力道山家から破門されるも、名勝負で師匠を供養した「猪木vsロビンソン」戦。エピソードと後日評は数多く語られていますが、試合後のプロレスマスコミの評価はどんなものかと思って、当時の雑誌をめくってみました。月刊誌時代だから、1976年1月号ぐらいかなと「別冊ゴング1月号」を開いてみると、新日本プロレス・闘魂シリーズ第2弾に特別参加「ビル・ロビンソン」の記事。インタビューも掲載されていましたが、「アントニオ猪木戦に向けての意気込み」という内容で、残念ながら試合のリポートは間に合わなかったようです。月刊時代はのんびりしてましたね。そんな時間の流れの時代がうらやましいなと思います。
「別冊ゴング1月号」の表紙はミル・マスカラス。カッコいいです。猪木vsロビンソンの決戦の記事はありませんでしたが、ロビンソン来日初戦の記事が載っていました。
■1975.12.04 大阪府立体育会館
45分1本勝負
ストロング小林 vs ビル・ロビンソン
これは国際プロレス時代の黄金カードではありませんか。新日本のマットで実現したこの好カード、テレビ中継もあったようですが記憶にありません。CSでも再放送されていないようなので、VTRが残ってないんでしょうかね。
国際プロレスも毎週テレビで見ていましたが、あまりにも幼少の頃でモノクロの小さなブランウン管を眺めている景色が思い浮かぶだけで、具体的な試合内容など全く覚えていません。試合の記憶はいくつかありますが、たぶん後になって昔のビデオを見ることで作られた記憶なんだろうと思います。
新日マットで実現したこの試合の結果は“13分24秒、人間風車からの体固め”でロビンソンのフォール勝ち。猪木戦を控えたビル・ロビンソンに負けや引き分けは許されないというところ。ストロング小林とは二年ぶりの対戦だということですが、その二年間で2人の立場は大きく変わったんだなと感じます。
「別冊ゴング1月号」では4ページに渡って試合をレポートしています。巻頭カラーグラビアで2ページ見開きの写真と合計8枚のカラー写真という豪華な扱いです。ただしロビンソンの勇姿のみでストロング小林がやられているものばかり。
それも小林の顔が写っておらず、記事本文を読まなければ対戦相手が誰だかさえ分からない写真です。昔の編集って自由だったんだなと感じます。
小林の気持ちを思えば「おい、おい、なんだよ。この記事は」と言いたくもなるところ。タイガー・ジェット・シンならゴングの記者をつかまえて首を絞めるに違いありません。
そのあたりのシンの行状・悪行は「I編集長の喫茶店トーク#026“シンの浅草観音様参り”」をよろしければ読んでやって下さい。
温厚な小林さんは、そんなことはしないでしょう。でも4ページも使ってるんだから、もう少しストロング小林も持ち上げて欲しかったと感じます。試合経過の記事があまりにもあっさりしているだけに、もしかしたら隠れた名勝負だったんじゃ無いかと妄想も膨らみます。なんとか小林選手の顔が認識できる写真が1枚だけありました。
ちなみに、私の「古びた本棚」に猪木vsロビンソン戦を伝えた月刊誌・週刊紙・新聞は残っていませんでした。名勝負として振り返った本はたくさんありますけど。
この日の猪木vsロビンソン戦については、前回の更新記事「I編集長・喫茶店トーク#19の全文を掲載してみました」もご覧ください。「嵐山」「黒澤明」と井上節全開のトークです。
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プロレス「古びた本棚から」#32
— しむろ トンパチマシンズ1号 (@nemuri_shimuro) November 28, 2018
「死刑囚 ザ・コンビクト」
「動きがもうひとつ鈍く、スタミナにも難点があったんだ。」 pic.twitter.com/j0lDVQ3Dk0
もう一つ、「いいね!」
19751204
— 若月(仮) (@wakatsukisensei) December 11, 2019
大阪府立体育会館
闘魂シリーズ第2弾
今日12.11は猪木vsロビンソンが行われた日付。
その1週前、大阪での #ストロング小林 vs #ビル・ロビンソン を観戦しました。
初めて観るロビンソンが余りにもカッコ良く、メインの北米タッグが全然印象に残らない程でした。#懐かしプロレスチケット pic.twitter.com/NL3M52mjYU
私がこの試合をツイッターでつぶやいた同じようなタイミングで、「ストロング小林vsビル・ロビンソン、観戦したよ」のつぶやきをされた方も。うらやましい。「ロビンソンの試合しか覚えていない・・・」と言うような感想を読むと“名勝負だったかも”の妄想がさらに膨らみます。見てみたい。この当時の録画をしている人なんていないだろうな。