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スタン・ハンセンの闘い方(2019/12/18更新)
I編集長・喫茶店トーク#037

1977.09.02 愛知県体育館
アントニオ猪木vs スタン・ハンセン

「ハンセンのファイトスタイル、新日・全日のファイトスタイル、技」

 1981年12月13日、全日本マットに衝撃的な登場をしたスタン・ハンセン。40年近く経とうとしている今でも、「この日と言えば・・・」という形でSNSなどで話題になっています。そこで、サムライTVが23年前に放送した「闘いのワンダーランド」の中で井上義啓氏が「スタン・ハンセン」について語っていたI編集長・喫茶店トーク#037の全文を掲載してみました。これまたとっても長いので、このトップページには抜粋を掲載しています。

I編集長・井上義啓

 

 今日は見ていただいたように52年の9月2日、愛知県体育館で行われました、猪木vsハンセン戦。これはハンセンが猪木のタイトルに初めて挑戦した試合なんですね。この時のハンセンの太ももの凄さね、これ、みなさんビックリされたと思いますよ。私がハンセンと会うたびに思ったのは、あの太もも、ものすごい太さですよ。

ハンセン初来日

 この試合を見れば分かるようにハンセンのハイスパートなレスリング、もう、間を置かずにですね、「バンバーン」とね、もうハッキリ言えば「一人よがりのプロレス」と私は言ってましたけどね、こういった一人よがりのプロレスを猪木が受け入れたと。これは言ったら悪いんですけども、全米のプロモーターが全部(ハンセンに)総スカンを食らわしたんですよね。あんな、プロレスを知らない、間もとれないような、そしてサンマルチノの首をへし折ってしまったという、間を知らない「バンバーン」と行くからサンマルチノの首がへし折られてしまったんですよ。

 第一回目にハンセンが日本に来たのは、全日本プロレスのマットですからね。新日が横取りしたという形ですね。それで、何の問題も起こらなかったのは、全米のプロモーターが「オフリミットのブレイクアウトだ」とこう言ってしまったんですよね。だからもう、馬場さんも使うわけには行かなかった。

ハンセン初来日

 我々は首をひねったもんですよ。どうして猪木は、ああいった一人りよがりのプロレスをハンセンにさせるんだろう。でもそれが新日本プロレスの真骨頂だったんですね。ストロングスタイルのひとつの断面だったんですよ。これが新日本で殺されること無くずっと続いてきましたからね。あのハンセンのハイスパートのプロレスが。

 しかしその後のハンセンの試合と言ったら、皆さん誰もがいいますよね、あのラリアートの相打ちだと。あのラリアートの相打ちっていうのは、3年後の試合ですよ、広島でのね。だからそれまでに猪木が相当ラリアートでやられたので、どうするかと言うことで猪木が考えたあげく、肉を切らして骨を絶つと、骨を切らして命を絶つんだということでやったのが、あの相打ちのラリアートですね。

ドン・イーグル

 蝶野あたりが使っていたSTFという技。これは平成の時代になって初めてあみ出された新しい技だろうと思っている人が非常に多いんですけども、何のことは無いね、テーズあたりがもう20年も30年も前に使ってるんですよ、

 ドン・イーグルの試合をこの前、この局で流されてましたわね。ドン・イーグルというのは日本に来なかったし、私は全然見てないんですけども、インディアンレスラーだという頭しかないですよね。そういった二流のレスラーだと思ったら、この局で試合やっているフィルムを見てビックリしたですよ。ハッキリ言って、オーバーじゃ無くて。

ドン・イーグル

 こんな凄いね、「カチーッ」としたね、試合をどういうルートでやってたのかという、そりゃね今のレスラーであれだけしっかりとしたテクニック、そういったものを持ったレスラーというのはハッキリ言っていないですよ。

 だからそういった昔のレスラーが使っておった技っていうのは、ネーミングされていなかっただけであってね。ラリアートにしたって、あのハンセンが初めて使ったからあれが出来たんじゃ無いんですね、これ。あんなものは力道山時代からね、ことあるごとに何回か出てきましたよ。

 全日本に移ってからのあの円熟したハンセンは技術的にはずっと上ですけどね。単なるパワーとそれだけを言うなれば、今日オンエアされた試合がおそらく頂点ですよ、荒削りですけどね。だから猪木は、ハンセンが全日本プロレスに移っていくと言ったときに、

19811213

負け惜しみでは無くて、俺はハンセンが全日さんに行っていい。というのは、俺と闘ったときのこれまでのハンセンが、ハンセンの絶頂期だし、一番良い時なんだから、そのピークというのをハッキリ言って過ぎているんだから、これから落ちていく一方なんだよ。だから俺が闘ったハンセンと言うのが一番凄いときのハンセンと闘っているんだから、これからのハンセンっていうのはそんなに惜しくは無いんだ。これは負け惜しみじゃ無い」

ということを何回も言ってましたよね。

 しかし今申し上げたように、やはり全日に移ってからのハンセンの凄さというのは、やっぱりありました。というのは円熟味が増しましたからね。これはもう、ゴルフの尾崎でも一緒でですね、パワーだけじゃやっぱりダメなんだな、パワープラスのテクニックでしょ。それがね、全日本プロレスに行ってから開花しましたからね。それはそれでいいんですけどね。猪木はそう言ってましたよ「全然惜しいとは思わない。悔しいとも思わない」と。だからそこは猪木と馬場とのプロレス観の違いでしょうね、

 猪木が言った「どこに行っても、もう惜しくは無いんだ」というのは、やっぱり強がりですね、これ、強がりですよ。それはありましたね。だからこの試合をもういっぺんじっくり見たいと思うのは、やはり一番凄かった時のハンセン、これをもう一辺確認しないことには、その後のハンセン、そして現在(1997年)のハンセン、そういったものが見えてこないんですよ。これはね、大事な点なんですよ。何でも無いようなことに見えて。

 猪木でもそうだし、藤波でもそうだし、木村健悟だってそうだ、長州だってそうなんです。一番凄かったときのね、藤波、長州、木村健というのをね、しっかり捕まえておくことが必要ですよ。これは基盤ですからね。基本ですからね。それをしっかり捕まえておかないと「あーだ、こーだ」、この前の(1997年)1.4のIWGPのタッグ戦なんかでも、そういった藤波の、健悟の一番良いところを知らない人たちがですね、「何か知らんけど、8年半前にどーのこーの」と言ったところで、しょうが無いんですよね、これ。

 だから今日(オンエアされた)の試合って言うのは、これ、単に「ボーッ」と見ておられては困る試合なので、私は今日、わざわざ20何分使って、この話をしてるんですよ。だからこれが、ハンセンの原型であるというね。その後、9.23田園コロシアム、みなさんご存知ですよ、これ。そういったところで壮絶死闘をやりましたね。それの源流がね、ここにあったと。

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