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武藤敬司×前田日明の対談(2020/1/17更新)

 先日、ツイッターで14年前の「武藤敬司×前田日明」の対談の話がバズっていましたので、乗っかってみました。 話題となっていた対談は、サムライTVで2006年12月に放送された「VERSUS」というプロレスラーやプロレス関係者の対談番組です。1時間番組なので全部を書き切れませんが、特に興味深かった部分を抜粋して掲載してみます。

武藤敬司×前田日明

 対談前半部分は、「今(2006年現在)のプロレス界について」といった話題から始まりました。

(前田)ハッキリ言ってね、これが(あごに握り拳を当てて)一番しっかりしないとダメなんだよ。全然しっかりしてなかったでしょ。なんかもう、やりっ放し、さらいっ放しで。必要になったらこう「おい、金儲けしようぜ」って、それでごそっと持って行って「じゃあな」って。そんなことばっかりやってる。で、こっちは「どうすんねん」ってそんなことばっかりじゃん。

(武藤)わかんないですけど・・・ただ、前田さんが辞めたのと俺が辞めたのは、たぶん共通点があって辞めたのかもしれないですね。

(前田)ひとつ驚いたことがあって、引退した後に長州さんと蹴撃事件のあと初めて会って、(週刊)プレイボーイで対談したんだよね。離れ際に長州さんが「アキラ、面白いことを教えてやろうか。維新軍団ってなんで全日本に行ったか知ってる?」「えっ?なんでですか?」って言ったら、「コレ(あごに握り拳を当てて)に行けって言われたんだよ」って。

武藤敬司×前田日明

(武藤)ホントですかぁ?

(前田)ホント

(武藤)ホントですかぁ?

(前田)ウン、マジ。

(武藤)だって一説によると一番最初のUWFだって・・・

(前田)一説じゃなくて、UWFも猪木さんがそう・・・猪木さんは、フジとテレ朝で二元中継やって、今(2006年現在)のK-1みたいに儲けよう思ったんだよ。それで土壇場になってテレ朝に見つかって、バンザイした。猪木さんは、ホントにそういうことばっかりだから(笑)

 このあと、HERO's、格闘技で日本人のヘビー級が育たないこと、格闘技のルール、UWFと新日が闘っていた頃の話・・・・

武藤敬司×前田日明

 そしてUWF、新生UWFの誕生から崩壊の経緯・・・・・

(武藤)UWFっていうのは、なんで出来て、何で無くなっちゃったんですか?

(前田)猪木さんがさあ、さっき言ったみたいにフジとテレ朝で二元中継みたいに放映したいんだって、放映権料を倍取りで儲けようみたいな。それで俺ら先発隊で(UWFに)行ったんだよ。で、途中で猪木さん(の計画がテレ朝に)バレバレになって、「やーめた、イチ抜けた」って。

(武藤)でもとりあえず前田さんが音頭とったじゃないですか。

(前田)いや俺は(音頭とりたくて)なったんじゃなくて、そのときは「行け」って言われたから行っただけなんだよ。そういうトップ同士の話って言うのは、一緒にくっついてきた社員とかさ、選手は誰も(そのことを)知らないからね。知ってたのは、俺とラッシャー木村さんと、あと剛竜馬さんは知ってたのかな。あと浦田社長と、あの辺ぐらいで他は誰も知らないんだよ。それで猪木さんが「イチ抜けた」でぽしゃって。それで猪木さんから高田を通じて連絡があって、「おまえは戻ってこい」って。そんなん「俺(前田)のために会社辞めてきました」という人ばっかりだったからさ、そんなんほっといて帰られへん。「それやったら潰れるの覚悟で自分らの好きな事しよう」って始まったのがUWF。

(武藤)で、一回戻ってきて、俺らと試合して、また出ましたよね。

(前田)新日本自体が船頭が多すぎてね、どうしようもなかったんだよ。俺らは俺らで前座に毛の生えたような人間が集まって、当時プロレファンが思ったプロレスに対してのいろんな劣等感とかを全部癒やしてあげてブームになったからさ、これを新日本の全体の力でやったらもっと凄くなるんじゃやないかと。

(前田)猪木さんは俺らが若い時に、いずれはそういうことをするみたいな事を言ってたからさ、まあ出来るんだろうなと思ってたら、そういう気が全然無いんだよ。「アントンハイセル」とか訳のわからないことを言ってさ。

(武藤)あの頃、田舎とかでもいっぱい試合やってたのに、猪木さんは前田さんとあんまりやってないですよね。

(前田)避けられてたね。田舎じゃ全然やらなかった。俺は俺でみんなを守らないといけないと思ったからさ、なんかひとりで躍起になって、後楽園ホールで藤波さんをノックアウトしたりとか、訳のわからんことばっかりやってたね。

(武藤)いやだったら言わなくてもいいですけど、長州さんとの一連というのはどうだったんですか?

(前田)長州さんの件はハッキリ言って、長州さんが俺を信用してなかったんだよね。俺、「蹴りますよ」って肩をたたいて、ビデオを見ればわかるんだけども、蹴りますよってオデコを狙ったんだよ。そしたら長州さんが横向いちゃったんだよ、こうやって。ていう話だけなんだよ。

(前田)あともう一つは、当時、天龍革命って言うんで、輪島vs天龍戦でえげつない試合をしたんだよ。俺らはキックブーツでなるべく衝撃の来ないようなラバーが入ってるシューズでやってるんだよね。天龍さんはレスリングシューズで輪島さんを顔面蹴ってボコボコにしたんだよ。それで新日本は全日本にくわれそうな勢いだったし、かすんでたし、ヤバいなっていう危機感があって、長州さんとだったらあの上を行くことが出来るんじゃないかと思って、仕掛けたというのもあったんだよ。

(武藤)で、そのまんま解雇っぽいような・・・

(前田)当時テレ朝から来た辻会長に、あの人にクビだって言われた。

(武藤)その時に前田さんは人望があったから、やっぱりUの人みんな(新日本を)辞めていかれて、新しい団体を作ったんですよね。

(前田)いや、いったん全員が新日本と契約したんだよ。その事件があって、俺一人だけ解雇になったんだよ。もし残りたかったら条件があって「メキシコに行け」と、「一人でメキシコ遠征に行け」と。メキシコなんかに行ってもしょうが無いじゃん。そんなんプロレスをずっとやりたいわけでもないし、金が欲しいわけでもないしさ、もうどうでもいいやと思たら、それでみんなどうすんのかなと思ったら、藤原さんも木戸さんも新日本と契約しちゃって、高田も山ちゃんも「契約します」みたいな感じになってたから、「あーあ」と思ったんだよね。それでもみんながそれで食っていけるんだったら俺とやっていくよりもいいかなと思ってた。そしたら当時ハウンドドッグのいた「マザーエンタープライズ」っていう音楽会社の福田さんっていう社長さんが、「俺(前田)をずーっと応援していたのに悔しい、格闘技戦だけでもやらないか」と。という話から始まったんだよUWF(新生)は。

(武藤)でも、そのあと他の人も行ったですよね。

(前田)その話がだんだん膨らんできて、それで藤原さんとか木戸さんとかは年もいってるし無理矢理引っ張ってきたらかわいそうだと思ったから、高田と山ちゃんに、「資金6千万ぐらいあるから来ないか」って嘘ついて引っ張って、UWFをやったんだ。そのあと船木も鈴木も俺が引っ張ったんだよ。

(武藤)そのあと崩壊しますよね。みんな各々が違う方向に行っちゃって。

(前田)UWFを周りで見ている連中、スポンサーというか応援する人って出てくるじゃん。で、俺はそういう連中からみんなを守ろうと思って排除するから、態度悪いじゃん。だからそいつらは俺が邪魔なんだよ。

(武藤)で、各々に“空気”入れる人が生まれたわけですか。それで分裂していったと言うことですね。

武藤敬司×前田日明

WOWOWテレビ放映の話----

(前田)みんながメシ食えなくなると困るから、自分の貯金を崩したりとかしてさ、活動資金とか全部自分で工面してやったんだよね。高田はなんか「自分に金があったら手伝いたいんだけど、出来ないからみんなをまとめておきますよ」とか言ってさ、「みんなをまとめて練習してますから安心してやってください」と。それを信用してたからさ。それで一応WOWOWでUWFの放映を決めたんだよ。契約金3億円で武道館とか大きい会場だったら放映権料4千万、普通の小っちゃいとこだったら2千万、って決まったんだよ。一人で半年頑張ってそこまで持って行ったんだよ。これでみんなに給料を今の3倍ぐらいやれるし、良かったなと思ってさ。それでみんなを正月の7日に集めて話をしようとしたんだよね。

(武藤)そのときにみんなが“空気”入れられてるのがわかっちゃって・・・

(前田)あれー?って思ってさ。高田までが下の方を向いてるんだよね、顔があった瞬間。「あー、なるほど、俺がいない間になんかちょっとあんたんだな」と思って。で、自宅にみんなを集めて、とりあえず先に高田と山ちゃんを集めて、「今日来たらみんなをまとめるために一回“解散”って言うから、あと頼むで。まとめ直してな」って言ってみんなを入れて「解散」ってやった。それを高田にしてみたら「ラッキー」って、のっかってきてそのまま解散になってしまった。俺にしてみたら、「えっ?なんでこうなったの?」と。

(武藤)じゃあ、放映権料とかは?

(前田)全部流れた。放送に関わってくれた人は進退問題になったりしたから謝りに行って、会社組織がまだ登記が終わってなかったから、キャンセル料とか全部俺が払って、終わってみたらすっからかんだよ。ひどいでしょ。

(武藤)そこからよくリングスまで行けましたよね。

(前田)当時のWOWOWの局長の桑田さんが「UWFっていうのは前田さんだと思ってるから、放映しませんか」と言ってくれた。地獄に仏だよ、ホントに。社員なんかおらへんから、金策・ブッキング・興行のいろんなこと、全部一人でやったよ。今思うと「どうやってやったんだろう」思ってね。よく言うじゃない、アイドルの子たちが振り返ってみたら「何も覚えてない」って言うじゃん。そうなんだよ。俺もあの時のことを何も覚えていない。ただ忙しかったなって事は覚えてるけど、場面場面の記憶は無いんだよね。

(武藤)それじゃあ、リングスが無くなったときは頭にきますよね。

(前田)頭にくるよ、ホントにもう、ぶち殺してやろうかと思ってね。

 このあと、リングス、ロシア選手、全日本プロレス武藤社長、これからのプロレス・・・と続きました。「ぶち殺してやろう」と思った前田の話、機会がありましたら、またこの続きを紹介したいと思います。

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