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闘いのワンダーランド #019
「I編集長の喫茶店トーク」

1975.12.11 蔵前国技館
アントニオ猪木 vs ビル・ロビンソン(2)

「渡月橋、保津川と桂川」
「我が青春に悔い無し、七人の侍」

I編集長・井上義啓

 昨日、猪木vsロビンソン戦の前半を見ていただいたので、今日は後半を見ていただきます。なぜ2つに分けたかと言いますと、やっぱりこの後半部分で時間をとって欲しかったのと、昨日喋ったことを、昨日の試合と今日の試合でね、確かめてもらいたかったと言うのがポイントですよ。昨日お話したのは、ロビンソンの仕掛けの瞬発力と言うか、取った瞬間に「バーッ」と足払いでなげたり、「クルッ」とバックを取ったり、こう指で「クルッ」と回したり、これはまああのゴッチもやりましたけどもね、そういった仕掛けの瞬発力の速さと言うか、これに猪木はついていけなかったというのが一般的な見方だし、昨日は前半を見ていただいて、これはもうありありとわかったと思うんですね。

 それをね、皆さんが言ったとおりで、「剛」の猪木、「柔」のロビンソンという、今までは、これまでの試合っていうのは、みなさんご存知だと思うけども、あくまでテクニシャンは猪木ですから、必ず猪木は「柔」の立場で立ってる。対戦相手のジョニー・パワーズあたりは「剛」の立場に立つ。「剛」の対戦相手、「柔」の猪木というね、これが一般化されてましたよね。だが、この試合に限って同じタイプのレスラーなのにロビンソンのほうが「柔」で、猪木のほうが「剛」だというね、非常にね、逆転の発想と言いますか、そういった非常に珍しい試合だというのが、この定義なんですよ。これはみなさんもそう考えておられると思うんですよ。それはそれでね、間違いない。だからこれから見ていただく後半部分で、それがバッチリ出てきますよ。それはね、間違いないんですよ。

 ただ、私が「嵐山」なんかで考えたのは、これはね、果たして猪木がしゃかりきになって向かっていったんだけれども、ロビンソンのテクニックでね、抗しきれなかったという見方、これはおかしいんじゃないかという猪木弁護士会の会長としての私の言い分なんですよね。これから私が独自な反論を展開しますけどね、これはまあ聞いてほしいというのはそこらへんなんですよ。

 と言いますのはね、5年後でしたか、大阪の高槻というところがあるんですけども、そこでね、ロビンソンとドリーとがね30分1本勝負で闘ったんですよ。これはね、非常に珍しいマッチメイクなんですよね。おそらくね、プロレス者と言えども記憶が無いと思うんですよ。これはもうタイトルマッチでも何でも無いし、その高槻の試合に、馬場さんがなんか(特別な試合を)やったという事でもないので、取材に来たのも東スポさんと僕ぐらいのもんでしたか。だから思い切ったマッチメイクをやったと思うんですね。これは後で聞いたところによると、ドリーのほうが一騎打ちやらしてくれというようなことでね、じゃあやって下さいということで、好きなようにやってくださいということで実現したと聞きましたけどね。だから非常に珍しいマッチメイクだと。

 そこでね、誰だってそう思うでしょ、もう山あり谷ありの大技の乱舞でね、すごい試合だと、みなさんそう考えていると思いますけど、とんでもない話なんですよ。これね、ロビンソンが仕掛ける、ドリーが必死になってカットするんですよね。全然技を掛けさせないんですよ。逆にねドリーが飛び込んでいこうとする、技を仕掛けようとする、ロビンソンがキレイにかわすんですよ。それでこんなことをやってね(人差し指を立てて横にふる)ロビンソンが「ノーノーノー」と。嫌な態度でね、ハッキリ言えば私は嫌いだけどね、こんなことをするのは。だけどしょうが無い、そんな事をしょっちゅうやってましたよ試合の中で。こんなことをね、5回も6回もやってた。

 だから、会場からはブーイングの嵐ですよ。そりゃ凄かったですよ、そりゃそうですよ、あの二人だから大技が乱舞するとね(観客も思っていたけど)。そしたら全部カットするんだもの、ディフェンスして。大技が全然出ない。たまに足払いあたりが出ましたけどね、ロビンソンの。その程度でね。もうダブルアームスープレックスなんてとんでもない話で、全然出てこないし、スピニング・トー・ホールドも出てこないし。ロビンソンのこれ(エルボー)ぐらいか、ドリーもこれ(エルボー)やりますし、そのくらいだったですかね。だから、ブーイングの嵐というのは当然なんですよ。

 しかしね、私は見ててね、ハッキリ言ってね体が震えましたよ。すごい試合だなって言うんでね。見とったら分かるんですよ。もう、いかにドリーが凄いレスラーか、ロビンソンが凄いレスラーか、だから僕は「ジーッ」と見てましたよ。だから村松友視さんが言ってた「プロレスだから瞬きもせずに、じーっと見てなくちゃいけないんだ」というね、これは試練なんですよ。ポップコーン食ったりね、コーラ飲んだりね、こんな格好してだね、見たって分かるはずがないんですよ、この試合は。そういった連中に限ってね、下手なブーイングを飛ばしたりするんですよ。だから僕はね、忘れられない試合の番外編ですけどね、この高槻でのドリーvsロビンソン戦というのは、生涯忘れないと思いますよ。

 ここでね、例によって嵐山あたりで考えたのは、これドリーがね、5年後と言えども見事に防いでみせた、ロビンソンのあの技をね、ということはドリーと猪木を比べるとドリーのほうがテクニック的に上だったとはとても思えない。そうなってくると当時の猪木、50年12月17日のロビンソンと闘った時の猪木はですね、ロビンソンの技を防げたはずだと。しかし、それをやってないですよ。それは、これから後半部分を見ていただくと出てきますよ。

 それはね、しゃかりきになって向かっていったんだけどもダメだったという(すでに)固まってしまっているこの試合の定義ね、これをね、私はぶち壊してしまおうと思ってるんですよ。特にここでね、またあのバカ、くだらんことを言っていると言われても構わんから言いますけどもね、私はそう思ってる。というのは猪木の当時の力を持ってしたらね、おそらくね80%以上防いでおったと思うんですよ。なぜそうしなかったかと言うと、やっぱり猪木はね、ロビンソンのね力を、7どころか、8、9、10まで引き出してね、闘おうとしたんじゃないかと、あの試合もね。

 国際プロレスでもう、ロビンソンはやってますからね。猪木はもう知ってるんですよ。よその団体のレスラーであっても。だからロビンソンはどういった闘いをするのか知ってますから、ここでカットするとね、もう試合が無茶苦茶なものになるし、面白くないし、だいたいロビンソンの、あれは非常にプライドの高い男ですから、ロビンソンのプライドも傷つけるし、という色んなことを考えてね、それであえて猪木はもう好きなようにしてみなさいと、私は自然体で受けようじゃないかという試合に徹しきったんじゃないかと思っていますよ。

 だから、ロビンソンの技に猪木がテクニック的に劣るんで、抗しきれなかったというね、このもう定義として固まってしまっているこの猪木vsロビンソ戦に私は異論を唱えると。これは弁護士会の会長としてはね。絶対に異論を唱えますよ、こりゃぁ。だからこれはね、正しいかどうかということはね、この後半部分で「バッチリ」出てくると思いますよ。だからそういったことを頭において「ジーッ」と見てみると本当のロビンソンvs猪木戦の姿がね見えてくるんじゃないかと、そういった気はするんですけどね。

 それでね、もう一つどうしてもお話したいことがあるんですけどね。これも意外にわかってないんだけれども、この試合のテーマというね、これは我々が設定したテーマではなくて、猪木自身が設定したテーマがあるんですよ。これは何かと言うと猪木が言ってましたよね。この試合のテーマというのは人間風車だと。ダブルアームスープレックスでね。これの名手ですからねロビンソンは。だからロビンソンにこの技を仕掛けられたら自分の負けだし、自分が逆に仕掛けるんだというね、だからこの人間風車を巡る攻防ね、これが今日のテーマになるというようなことを猪木はいっておったらしいですよ。

 これが非常に面白いところでね、やっぱりその前の2ヶ月ほど前に行われた例の猪木vsテーズ戦、これでバックドロップがテーマになりましたわな。バックドロップを仕掛けたほうがどうかという。そしてテーズが猪木にフォールされたから負けたんじゃないと。「私はバックドロップの名手で、どの対戦相手にも仕掛けられたことのなかったこの私がですね、バックドロップで猪木にやられた、その瞬間に私はもう負けたんだ」と。だからフォールされたから負けたんじゃないんだよと、という話を聞いた時に、私は飛び上がって喜んだんですね。今日のノンフィクションの記事はできたなということでね。だからそれとね、同じことが2ヶ月後のね、この試合でも猪木は同じことをテーマにしてるんですよ。だから人間風車を中心にしてどうだということをね、だからそこらへんをね、やっぱり頭において見てもらうとこの試合というのは非常に面白いんじゃないですかね。

 だから猪木というのはやっぱり、なんていうんですかね、僕が思うのは、やっぱりマスコミがねなるほどというふうな話をしてくれる人だということなんですよ、猪木は。特に私の場合には、井上のバカにはこういう事を言うと喜ぶだろうとかね。あいつにはこういった話をしたらダメだろうとかね、そういったことをちゃんと知ってた男ですよ、あの男は。まあ参謀についてた新間さんが頭の切れる人だったですからね、これは頭が切れますからね、でも記者では東スポの編集長をやっておられる桜井大先生がね、この人が非常に頭の切れる第一人者だと思ってますよ。この人がね。だけどもまあ営業畑でマネージャー的なことでやった人ではやっぱり新間さんでしょう。この人の頭の良さね、カミソリのような頭をしてましたからね。

 だからそれはあったんですけども、やっぱり猪木自身がですね、この男にはこうだ、この記者にはこうだ、このマスコミにはこうだとういうふうなね、ちゃんと使い分けてね、活字になるような話を「バーン」としてくれたんですよ、猪木は。それを上手に引き出すかどうかも、記者の腕ですけどね。くだらんことを言ったら、猪木は「ムカーッ」として話をしないんですよ。なにくだらんことを言ってんだというね。それは、ある一般週刊誌の記者がね、「猪木さんと馬場さんとはやってもいっぺんも勝てなかったですね」とくだらんことを言ったんですよ。怒ったですよ猪木は。あんなね、みんな怒りましたよ。猪木と馬場さんとの試合は何回かあったけどね、試合はあったけれども“勝負”は無かったんだよと、馬場さん怒るかな、ま、ここらへんで後半部分に行ったらどうでしょうかね。

  (後半部分)

 なぜ、たった一回しか行われなかったのかというのは、非常に難しい質問で、僕も返答に困る質問なんだけれども。僕の考えではね、一回しか行われなかったから良かったんだと。ハッキリ言って2回も3回も4回も試合を行っておったら、ドンドンどんどんトーンダウンしていってね、単なる駄作に終わってしまうんじゃないかと、僕はそう思ったですよ。一回しか行われなかったからこそ、これだけ光り輝いているのであって、これを皆さんがどういう風に考えるのか、それは私は知りませんよ。皆さんは皆さんで自分で構築することだから、一回しか行われなかったのは惜しい、と言う声が圧倒的ですよ。これも、猪木vsロビンソン戦に対する定義の一つになっていますね。一回しか行われなかったので、もったいないと。私はそうじゃないですね。一回しか行われなかったから良かったんだよ、と。

 これはまあ、へそ曲がりの意見かも知れないけどもね。それは何かというと、前半部分でもちょっとお話ししたんですけども、猪木はロビンソンの良さを120%、100%じゃ無いですよ、私に言わせれば120%発揮させて闘ってますよね。だからこれ以上のロビンソンの上積みは無いですよ。120%のその上って言うのは無いですからね。2回目を闘えば、必ず100%以下にボルテージが落ちるんですよ。3回目には80%に落ちちゃうんですよ。これはもう、どうしようもないです。ハッキリ言ってロビンソンはあれが全てですからね。

 だから私自身はこの試合というのにね、異議を唱えるって言うのはそこにあるんでね。皆さんに叱られるんだけども、あくまで一回きりの方が良かったということに、これはなるんですね。これが嵐山あたりで一所懸命考えた結論なんですよ。嵐山と言いますとね、ど真ん中に桂川というのが流れてるんですよ。皆さん行かれたらすぐわかると思うんですけど。そこに橋が架かってます。これ有名な橋ですよね。これがね、渡月橋(とげつばし)、まあ「とげつきょう」と地元の人は呼んでるようですけども。これを中心にして、上流と下流とに別れてるんですよね。で「保津川下りと」いうのをご存じですか?これは、上流から渡月橋までの間を「保津川」と言うんですよ。それで橋の下に堰がしてありましてね、上(かみ)と下(しも)両方に100mぐらいですけどね。それで堰の間、橋の下ですね、これを大井川と言うんですよ。それで「桂川」というのは何かと言ったら、その橋の下流の堰から下(しも)のことを言うんですよね、「桂川」と。

 だから人によっては、「嵐山の川?、保津川じゃないの」と、特におばちゃん連中はそう言いますね。(おばちゃん連中は)「私は保津川下りをやりましたよ。そして若いアベックなんていうのは、一緒にボートに乗ったりしてね、それは保津川じゃないの。保津川じゃ無かったら何なの?」と言うでしょ。ところが、(プロレス興行の)営業マン、この人たちはハッキリ言って、1万円札を何本持ってくるか、5000円札がどうか、1000円札がどうかの勝負ですからね。この人たちはハッキリ言って、猪木vsロビンソンであろうが、週刊ファイトの井上が何をほざこうがどうでもいいんですよ、そんなことは。要するに1万円札が何枚、5千円札が何枚入ってくるかと言うことの勝負ですからね。そうするとこの人たちにとっては「大井川」なんですよね。橋の下に居るんですよ、この狭いところにね。保津川でボートに乗っている、川下りの舟が来る、我々(営業マン)はこれはどうでもいいと、あんなものは。これは一般のファンの話であってね。だから我々は橋の下で見上げながら「大井川」なんだからこれだけの(幅)のもんなんだよと言うでしょ、それは。それが営業マンの言い分ですよ。

 ところが私はどこに居ったかというと、「あなたは嵐山の話をよくする」とみなさん思われているけども、私がどこに居るかというと、桂川のはるか下流におるんですよ。それで桂川のはるか下流におるから、こうやって上手を見ますと、向こうに橋が見えて、その下が今言った大井川ですね、そしてその向こうに「保津川」が見えるんですよ。ボートが浮かんでいる、川下りの舟が来るという。おばはん連中が「キャーキャー」言うとるというね。それを下手から「ジーッ」と見てるんですよ。だから私が眺めている目の前の川は間違いなく「桂川」なんですよ、これはどう考えてもね。そうでしょ、「桂川」なんですよ。だから人によって、立場によって、あれは「保津川」だと言いね、営業マンは「いや、大井川だ」と言うし、私のような文句言いは「桂川じゃ無くて何なんだ」と、こう言いますよ。

 だけどもそれは見る立場によって違うんであってね、今申し上げたように「一回しか行われなかったんだ」と、これが惜しいと言う人はね、どちらかというと「保津川」でボートを浮かべている人の言い分じゃ無いかと。私に言わせると、うん。そして大井川の営業マンはというと、「2回やって3回やってどれだけ儲かるんだろうな、まあ、2回目ぐらいまでは儲かるかな、3回目はどうかな、わからんよ」というね、そんな話をしていると。で桂川の下手におって向こうを眺めている私はね、「これはどう考えても桂川なんだから、保津川じゃないよ」という立場ですよね。だから立っている立場によって、どこにボートを浮かべているか、どこに座って考えているか、それによって「プロレス」というのは「ガラッ」と変わるんですよ。

 これは屁理屈でもなんでも無いんですよね。これは皆さんが「保津川」だと言うんだったら、僕はそれでよろしいと。何も逆らいませんよ。「保津川」だというものをね、僕は何も「桂川」だといってね、「キャンキャン、キャンキャン」とね、犬の喧嘩じゃ無いんだからそんなバカなことはしないですよ。保津川であれば保津川で結構です。川下りも大いに結構ですよね。ボートを浮かべて楽しんで下さい。

 そして大井川、橋の下に居る連中はね、鞄を持って一生懸命チケットを勘定しておる人たちには「大井川」、それでよろしいと。だから私がね、喫茶店トークの出張として嵐山にしょっちょう行くんだけども、そこに来るファンの方というか、プロレス者というかね、そういった人たちと2時間3時間もへたりこんで話をするんですよ。こういった話をしてるわけですよ、ハッキリ言えば。ここでは時間が短いんでね、あっという間に終わってしまいますけども、私が嵐山なんかでやっとる話っていうのはそんなもんじゃないですよ、みなさん。2時間も3時間もやるんですよ、これ。バカみたいなもんですよ。そこで私がプロレス者あたりに話をしている内容というのを引っ張ってきましてね、今日のお話になると。だからそれを今、みなさんに聞いてもらってるわけですよ。だから私が今日ここで何かしゃべらなくちゃいけないんだなということで、とってつけて作った話じゃ無いんですよ。私が嵐山でしゃべり、いろんなところで書き、そういった話をここでもう一遍させていただいていると。

 と言いますのは、やっぱり最近の若いデルフィン達は私の書いたものとか、こんなことを言ったら怒られるかもしれないけども、お読みになっていないと思いますよ。だから若い人たちも(この番組を)見ておられると思うんですけど、私はここで申し上げておきますけども、「デルフィン」と言ったらバカにしているんじゃ無いですよ。「デルフィン」という言い方をね、最近の若いファンのことを。みんなTシャツを着てね、非常に気さくでね。会場で「オー」っとやっていて、わりかし礼儀正しくもあるし、話をしていても非常に好感が持てる。(プロレスラーの)デルフィンというのもそういう男のことなんですよ。デルフィン」は私が編集長時代にわざわざ会いに来てくれましたよ、2回ぐらい。それでキッチリ挨拶してくれてね。だからデルフィンという男にはね、私は非常に好感をもっておるんですよ。

 だから私が若いファンをつかまえて「デルフィン」というのは、馬鹿にしているんじゃ無いんでね、(勘違いされているのなら)この場を借りて訂正させていただきたい。訂正、というのじゃないけどね。なんかそういう風に考えている人が多いんでね。「なんかお前は、デルフィンだと言って馬鹿にしてるだろう」と。そうじゃないんですよ、僕は馬鹿にしてるんじゃ無いんですよ。最近の若い層ではデルフィンのようなタイプのファンが占めていると言ってるだけのことであって。そんなことを言ったら(プロレスラーの)デルフィンが怒りますよ。あの男はいい男ですよ。

 この前の高野拳磁と佐山もね、非常に礼儀正しい。私のような一介の素浪人にね、あれだけ礼をを尽くしてくれたんだもの。そこらへんでね、デルフィンもそうでしたよ。まあそりゃ若い連中とかには言うかも知れないけどね、一応、私とか山本君(ターザン山本)とかね、そういった人の前では「ピシーッ」とね、礼儀をわきまえてね、キッチリやりますよ。だからそこら辺は誤解の無いようにしていただきたいですよね。余分な話になりましたけどね。やっぱりこういう映像というのは凄いもんでね、みんな見せますからね、こういうとこで話をするのが一番効果的なんですよ。だからこういう機会を狙っておった訳ですよ。なんかいらんことを言うと思うでしょうけれども、まあ、黙って聞いてやって下さい。

 先ほども、一回しかやらなかったという話を申し上げたんですけども、これ、光るレスラーと、何回も繰り返しやることによって光るレスラーと、繰り返せば繰り返すほどダメになる対戦カードとね、これは二つがハッキリあるんですよ。たとえば猪木vsシンなんてのはね、NWFヘビー級戦だけで14回やってるんですよね。他のノンタイトルマッチとか、そんなもんを入れたらもう、30回を越えるんじゃ無いですか。それでマンネリ化したとかなんとかかんとか言いますけどね、私はそういった風な感じは全然もってないですよ。

 シンvs猪木戦で、「あー、面白くなかったな」という試合は、全然無いんですよ。ということは、繰り返し20回やろうが30回やろうが、光ってくる顔合わせというのはあるんですよ。良い例が猪木vsゴッチでしょうね。5回やりましたよね。3月6日の大田区体育館での猪木が負けた試合ですけどね、大阪でも負けましたけども、それを含めて5回やって、猪木のほうが負け越しているんですよね。それがね、全部光ってますよ。やればやるほどね、テーマがもう無くなるんじゃないかと思うんだけれども、やればやるほど光ってくるんですよね。だから猪木vsシンもそうですし。

 ところが言うたら悪いですけども、小林が怒るかも知れないけども、猪木vs小林戦なんて言うのはね、最初は「ガーッ」と光ったけども、だんだんだんだん、なんか色が薄れてきている試合ですね。それは小林がダメだと言うんじゃ無いですよ。小林がダメだと言うんじゃ無くて、2人の闘いの肌合いというのがね、僕に言わせると合わないんですよ。肌合いが合わないという、非常に難しい話をすると思うでしょうけども、これもあんまり時間が無いので、それ以上のことは言いませんけどね。

 猪木vs大木戦にしたってですね、3回、4回まで組めたからよかったんですよ、あれは。5回6回とやったらね、5回目6回目は光りませんよ。ソウルでもやりましたけどね、猪木vs大木戦というのは、あの足4の字をかけて、場外に「ドーン」と落っこちたというのをね、目の前で見てましたけどね。だから、3回目、4回目まで出来る試合と、1回でやめたほうがいい試合と、いろいろあるんですよ。

 だから、猪木vsロビンソンの「試合を良い」と諸手を挙げて賛成しているむきには非常に申し訳ないけども、そういった意味で猪木vsシン戦と猪木vsロビンソン戦というのは違いますよ、と言うことを僕は申し上げたいんですよね。僕が猪木vsゴッチ戦を褒めているというのは、昭和47年の旗揚げの時と、10月10日の大阪大会だけを言ってるというのは違うんですよ。これは猪木vsゴッチ戦、全部を含めて、タッグマッチも含めてですね。だからジョニー・バレンタインもそうですけども、私自身は、カール・ゴッチと猪木との試合は10回やっても名勝負になったんじゃ無いかと思うんです。ところが残念なことに、今日放送分にケチをつけますけどね、今日放送した猪木vsロビンソン戦というのは、この試合、ワンマッチだけで「ギラーッ」と10回分光ってました。そういうことだと思いますね。

 私が今言ったような話というものを、みなさんがフィルムをご覧になってどういう風に判断されるか。しかし、こういう見方もあるということですよ。だから、こういう見方があると言うことを言わないとね、なんかものの本に書いてある、教科書的なものを見ますとですね、武田信玄と上杉謙信とが川中島で一騎打ちしたと書いてあるんですよね。でも、一騎打ちなんかしてませんよ。一騎打ちなんて、全然してないですよ。それがね、教科書には書いてあるんですよ。僕らはそれを教えられましたからね。調べてみたらね、全然、一騎打ちなんかありませんよ。

 それと同じですよね。だから「定義」というのは絶対的に正しいとは言えない。「エラそうなことを言うな」と言われるけど、そうなんですよ。だからプロレスというのは、皆さんが構築して下さいよ、見た人が。だから今日のビデオを見て、「ああ、井上の言ってることは間違いだ。俺はこう思うんだ」「やっぱり一回しかやらなかったのはもったいない」そう思ってる方はね、それでいいんですよ。何べんも言いますけど、それはやっぱり「保津川」ですからね。保津川下り、これを良しとする人はね、それでいいですよ。ただ、桂川の袂で「ジッ」と眺めている男もいると、そういう男もいたという、そういった話をさせてもらおうかなと思って、今日はここにやってきたんですよね。

 それからもう一つ、これは触れて良いのかどうかわからないですけどね、ホントを言うと猪木は「ゴッチの方が上だな」と、こういうことをちょっと言ったらしいですよ。これはもう公には出来ない話でね、そんなことを言うとロビンソンの耳に入ったりすると大変ですからね。でも、やっぱりゴッチの方が上、タイプが違いますけどね。昨日もちょっと申し上げましたけどね、ゴッチとロビンソンと同じビリー・ライレー・ジムの兄弟弟子であってもタイプが全然違いますからね。だからどっちが上と言うことは言えないかも知れないですよ。「ロビンソンの方が上だ」と言う人もおるしね。だけど闘ってみた感じで「ゴッチの方が上だなあ」という猪木さんのオフレコの部分をね、これは猪木の感覚ですよ、だけど僕もそう思っているんですよ。

 僕は猪木vsゴッチを名勝負のナンバーワンに推すけども、猪木vsロビンソン戦を5番目か6番目においているというのは、そこら辺にあるんですよね。これはハッキリ言って好き嫌いであって、どこかで書いたんですけども日本映画に名作というのがいくつもあるんですよ。みなさんご存じだと思うんですけど。「二十四の瞳」とかね、すぐに思い浮かぶのが「喜びも悲しみも幾年月」ですか、ああいった名作があるんですよね。

 ところが僕は、名作だなとは思うんですよ。これは、ベストテン、史上に残る名作だとは思うんだけども、やっぱり好きになれないんですよ。それだけのことなんですね。ところが黒澤明のあの豪快なモノクロの世界、あの凄いタッチというのを僕は非常に買ってるんですよ。だから私が言う日本映画のナンバーワンというのは、黒澤明の「我が青春に悔い無し」だというね。黒澤明の世界というのは他に「生きる」があり、「七人の侍」があり、ま、ターザン山本が好きなのは「七人の侍」ですけども、だからあの先生は何かあると「七人の侍」を出しますよ。 それはターザン山本が好きな映画であってね、私は黒澤明の作品では3番目ぐらいに置いているんであって、僕はやっぱりもう「我が青春に悔い無し」をナンバーワンに置くんですよね。

 何故そうなってくるのかというのは、ハッキリ言って僕の勝手であってね、勝手というか感覚の違いであって、だから「感覚のプロレス」というのはそこら辺にあるんですよ。「編集長、感覚のプロレスって何ですか?。具体的に説明して下さいよ」と、みなさんよく聞きたがるんですよね。だから今日この場をお借りしてお話ししますけども、「感覚のプロレス」というのはそういうものなんですよ。具体的に設定基準があるわけじゃ無いんですよ、プロレスというのはね。だから、「よし」としたものが良いんです。だから今ちょっと言いました、ターザン山本は「七人の侍」だし、僕は同じ黒澤の作品でも「我が青春に悔い無し」だしね。なぜこう違うのか、これはもうしょうが無いですよ。感覚の違いですからね。

 だからそういう形で今日の試合を観ていただいて、皆さんに考えていただくと、どういった結論が出るか私は知りませんけどね。ビル・ロビンソンvs猪木というね、非常に名勝負をいろんな角度から検討してみる必要があるでしょうね。「こう書かれている」「こういう風に定義されているんだ」と、それを鵜呑みにしたらダメですよ。何遍も言いますけどね。私としては私の今の見方と違う見方をして欲しいという希望はありますね。「ああ、井上の言うとおりだ」と思われたらたまったもんじゃ無いですよね。「井上の言うのは間違ってるんだ。俺はこうなんだ」というね、今私がお話しした以外のプロレス論というのを展開していただきたい。

 猪木vsロビンソン戦というのは、やはりロビンソンがああいったタイプのレスラーですから、ストロングスタイルとは無縁のような感じがするでしょ。ところがこの試合を「ジーッ」と眺めてみますとね、ロビンソンが凄くストロングスタイルで闘っているんですよ。これはもうお気づきになると思うんですよ。これがこの試合の非常に大きな特徴なんですよ。ですから、一回しか行われなかった云々・・・というのは、果たして2回、3回やった場合に、このストロングスタイルの光り方が持続したかどうか。これが非常にユニークな見方だと言われたらそれまでですけど、私はそういった見方で観てましたよ。今でもそういった考え方は変わりませんよ。

 だからストロングスタイルで、ロビンソンというのは言うまでも無くAWAで闘った男なんですよ。だからアメリカンスタイルを持ち込むことも出来る男で、ストロングスタイルとは無縁のような気がするんですけどね。それを上手に引き出して、否応なしにストロングスタイルの世界に引き込んだのが、これが猪木の凄いところですよ。それに気づかなかったらダメですよ、これ。私がこんなことを言って初めて「ああ、そうか」と気がつくようではね、これはもう、とてもじゃないが「プロレス者」とは言えないです。これくらいのことは観たら瞬間的にわからなくちゃね。

 



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