menu

闘いのワンダーランド #037
「I編集長の喫茶店トーク」

1977.09.02 愛知県体育館
アントニオ猪木vs スタン・ハンセン

「ハンセンのファイトスタイル、新日・全日のファイトスタイル、技」

I編集長・井上義啓

 今日は見ていただいたように52年の9月2日、愛知県体育館で行われました、猪木vsハンセン戦。これはハンセンが猪木のタイトルに初めて挑戦した試合なんですね。だから、ご覧になったと思いますけども、この時のハンセンの太ももの凄さね、これ、みなさんビックリされたと思いますよ。私がハンセンと会うたびに思ったのは、あの太もも、ものすごい太さですよ。これ見る度にはハンセンのそばに行って見る度に思いましたね。その凄さがやっぱり出てますでしょ。

 だからやっぱりね、若い頃のハンセン、若い頃の猪木、無論馬場さんもそうだし、鶴田もそうだし、天龍もそうだし、みんな凄いですよ。やっぱり若い頃のレスラーってのは凄いですよ。完成されているか完成されていないかの問題はありますけどね。これを見ていただいたらね、やっぱり、「ムンムン」するようなね、ハンセンの体臭というのが出てますね。だからそこらへんがね、見ていただいたら分かるんですけども。

 さて、この試合、その後の猪木vsハンセン戦にどのようにつながっていくのか。当然その後には全日移籍という問題が出てくるわけですね。ただ、それはその時にいろいろ話はしますけども、やっぱりそういった思いつくままにですね、猪木が言ったこと、そういったことも交えてお話しましょう。

ハンセン初来日

 この試合を見れば分かるようにハンセンのハイスパートなレスリング、もう、間を置かずにですね、「バンバーン」とね、もうハッキリ言えば「一人よがりのプロレス」と私は言ってましたけどね、「壊れたダンプカー」なんて私は言わなかったです。「一人よがりのプロレス」、こういった一人よがりのプロレスをですね、猪木が受け入れたと。これは言ったら悪いんですけども、全米のプロモーターが全部(ハンセンに)総スカンを食らわしたんですよね。あんな、プロレスを知らない、間もとれないような、そしてサンマルチノの首をへし折ってしまったという、間を知らない「バンバーン」と行くからサンマルチノの首がへし折られてしまったんですよ。

 あれが、普通のルールにのっとって、こういって、こういって、ここで投げるぞと、言って投げたんであれば、受け身の下手なサンマルチノでもですね、首を折られるというようなことは無かったんですよね。ところが、そういった「間」というものをハンセンは当然無視しますからね。「バーン」行ってしまうんですよ。受け身の取りようがないんですよね。ましてやサンマルチノは受け身が下手なんですから。下手ですよ、あの人はね。レイスとかフレアーとかとは違うんですよ。だから、それでもう、いっぺんにやられてしまったでしょ。

 そういう事があって、全米のプロモーター達はハンセンをブラックリストのナンバーワンに上げたんですよ。「あいつは使わない」と。これ、AWAもみんなそうです。それで、使わない、使わない、使わないときたんで、全日本プロレスとしても、それまではハンセンを呼んでおったんですけどね。

 第一回目にハンセンが日本に来たのは、全日本プロレスのマットですからね。その時みんな、「木偶の坊だ」と言って笑ってましたけどね。だから、極端に言えば、全日系のレスラーですよね、それをね、新日が横取りしたという形ですね。それで、何の問題も起こらなかったのは、全米のプロモーターが「オフリミットのブレイクアウトだ」とこう言ってしまったんですよね。だからもう、馬場さんも使うわけには行かなかった。

ハンセン初来日

 そこへ新日本プロレスが「それだったら、ハンセンをうちに呼ぶぞ」と。(馬場は、)「ご自由に」と。自由契約選手だからね、ガタガタ言うことは無いんだということになって、譲ったんですよ。だから、そういうことを知ってて呼んでるんだから、普通であればハンセンに「お前のレスリングというのは、こうこうこうでね、そういったレスリングをやられたら困る。こんなレスリングをやられたら、試合をやられたら。こういうふうにしてくれ、こういうふうにしてくれ」とか言うはずですよね。(新日本プロレスがハンセンに)全然言ってないですね、あれは。

 いまの試合フィルムを見たら一目瞭然ですよ。全然、ハンセンはそんな修正を加えてませんよね。だから当時新日本プロレスに来た時のハンセンの試合を見ておった時にですね、我々は首をひねったもんですよ。どうしてね、ああいった一人りよがりのプロレスをハンセンにさせるんだろう。でもそれが新日本プロレスの真骨頂だったんですね。ストロングスタイルのひとつの断面だったんですよ。これが新日本で殺されること無くずっと続いてきましたからね。あのハンセンのハイスパートのプロレスが。

 それが全日本プロレスにもね、幸いというか福をもたらしましたよね。全日本プロレスのあのプロレスが、私が申し上げている“全日プロレス”、これは団体のことでは無いですよ。全日本プロレスがやっているハイスパートな攻防一体化のプロレスを“全日プロレス”と言ってるんですよ、私は。あの“全日プロレス”がなぜ完成したかと言いますと、これは三沢がおったから、川田がおったから、小橋、田上じゃないですよね、これ。

 ハンセンが持ち込んだんですよ。ハンセンが持ち込んでそれに対応するためにはどうするかと言うことになってくると、四天王はやっぱりそのハイスパートな攻防のプロレスをやらざるを得なかったんですよね。だからがむしゃらになってやったと。それがですね、あの素晴らしい、素晴らしいと言いますかね、 “全日プロレス”を産み出したんですよね、これ。だからそういった意味でも、全日本プロレスに福をもたらしましたけども。

 ハンセンのハイスパートなレスリングは、新日本プロレスにも大きな福をもたらしましたね。あれを殺さなかったというのはやっぱりクリーンヒットですよね。あれを全米のプロモーターみたいに殺してしまって、「ここでこういって、間を取ってくれ。相手を叩きつけてしばらくは見ておってくれ」と。たとえば相手をコーナーに投げつけますね。それで「コーナーに叩きつけられたレスラーが、アーッと言ってまたこちらに返ってくる。そこで試合を始めてくれ」というようなことを言っておったらですね、今のハンセンは死んでしまってましたよ。

 新日本プロレスは何も言わなかったですね、あれに。だからハンセンはどんなプロレスをやったかというと、今と同じプロレスをやっとったよね、これ。今日のフィルムを見ていただいたら分かりますわね。「ブワーン」と叩きつける、そこで瞬間にハンセンが走ってますでしょ。それでこれ(ラリアート)ですよね、「ガーン」と。

 ああいったことは掟破りなんですよ。ルール違反なんですよ、あれは。何遍も言いますけども。ああいったね、相手に間を与えない(のは掟破りなんです)。攻めて、相手が立ち直って攻めてくる、受けてまた攻め返すというね、これが力道山時代からのね、プロレスのルールですからね。それを破ってしまって、「ガーン」と叩きつけるのと同時に走って「バーン」とやると、そして蹴飛ばすと。これは何なんだと言うことになりますけどね。それをやったからこそ、この試合も、今見ていただきましたような迫力のある試合が構成されていますよね。

 だからこのハンセンのラリアートというものを中心にして、この頃の新日本プロレスは回っていったんですよ。新日本プロレスは回っていきました。だからこの9月2日の愛知県体育館での試合っていうのは、そういった意味ではですね、やっぱりストロングスタイルの新日本プロレスのカラーを打ち出す絶好の素材になりましたわね、これ。そういった意味ではこれは見逃してはならない試合なんですね。他の試合とは違いますよ、これ。

 しかしその後のハンセンの試合と言ったら、皆さん誰もがいいますよね、あのラリアートの相打ちだと。あのラリアートの相打ちっていうのは、3年後の試合ですよ、広島でのね。だからそれまでに猪木が相当ラリアートでやられたので、どうするかと言うことで猪木が考えたあげく、肉を切らして骨を絶つと、骨を切らして命を絶つんだということでやったのが、あの相打ちのラリアートですね。

ドン・イーグル

 あれで猪木は零コンマの5秒だとか言ってましたけど、我々は零コンマの1秒ぐらいだと思いましたね。それほどもう紙一重もいいとこですよ、あれ。その差で勝ったと言うね。まあ口で言ってしまえばそういうことなんです。

 だからあれにしたってですね、その前兆はあったんですよね。何か猪木が試合前練習で、坂口を上げて、盛んに坂口にラリアートをさせているんですね、走ってきて「バーン」と。だからまあ、(仮想ハンセンの練習だから)それは分からんじゃないですけども、なんでこんなことをやってるんだろうと、「ジーッ」と見てたらですね、坂口が「ボーン」と走ってきてラリアートをかます、猪木も「バーン」とやってるんですよ。

 だから仮想ハンセンに見立ててですね、あの零コンマ何秒かという紙一重のラリアートの相打ちを何回も何回も、試合前の練習で試しておったんですよね、猪木は。だからあれはその時の思いつきで「バーン」とできたものとは違うんですよ。

 それともう一つついでに申し上げたいのは、蝶野あたりが使っていたSTFという技。これは平成の時代になって初めてあみ出された新しい技だろうと思っている人が非常に多いんですけども、何のことは無いね、テーズあたりがもう20年も30年も前に使ってるんですよ、あの技は。ただ我々が迂闊にもそういったネーミングをしていないし、STFだっていうようなことを言ってなかったですからね。

 なんか知らんけどテーズが「ガチャ、ガチャッ」と足を固めたなと、それで首をグッとこんなことやったなというだけで、足を固めて首をねじ曲げたと言うような書き方しか出来なかったんですよね。だからSTFだと言わなかっただけのことであって、もうとっくの昔にテーズがやってるんですよね、これ。

 それでルスカがオリンピックでもやった技、四方固めというような、横四方固めとかいろいろありますけど。そういったことはロビンソンがね、例の昭和50年の12月11日蔵前国技館で行われました、力道山の13回忌追善興行と同時に行った試合ですね。あそこの中でちゃんとやってますよ、ロビンソンがあの技を。今、平成の時代に「新しい技だ、なんだぁ、かんだ」と言ってる技ですね。フランケンシュタイナーにしたって、投げっぱなしのパワーボムにしたってですね、とっくの昔に使ってたんですよ。

 力道山時代もね、本当は裏技として使ってたんですよ、あの「投げっぱなし」というのは。吉村道明あたりがわざと「手が外れた」と言う形にしてですね、「手を離してバックドロップをやってやれ」とか言ってましたからね。投げっぱなしのパワーボムなんかそれですよ。だから当時は投げっぱなしのパワーボムとかね、バックドロップとかいうのは禁止されていた、危険だから。リングは固いしね、こんな厚い樫の板を「バーン」と敷いただけですからね、その上にキャンバスを張っている、それだけのリングですからね。

 今のようにね「ブワン、ブワン、ブワン、ブワン」してないですよ。バウンドしないですからね。だからあそこに叩きつけられたら、もうね、たまらんですよね。だから投げっぱなしのパワーボムなんかやらしたらもう、一発で首がいかれちゃうんですよ。だから力道山がボディスラムで叩きつけて「ワン、ツー、スリー」っていうのは当たり前なんですよね、当時の固いリングを考えたら。

 だからまあ、そういった、ちょっと話が横にずれましたけども、今使っているいろんな技っていうのは、平成になって初めてあみ出された技もいろいろありますけども、女子プロ、全女あたりがいろいろな技を使ってますけども、その原型って言うのはね、もうずーっと昔にあるんですよ。

 ドン・イーグルあたりの試合っていうのをこの前、この局の“懐かしのメロディ”じゃないですけども流されてましたわね。私がたまたま見てたんですよ。ドン・イーグルの試合というのをね。これ見てビックリしましたね。ドン・イーグルというのは日本に来なかったし、私は全然見てないんですけども、当時のことだから資料も無いと。ドン・イーグルと言ったらインディアンレスラーだという頭しかないですよね。「タッタータッタ」と踊ってね、トマホークチョップをやって、そういった二流のレスラーだと思ったら、この局で試合やっているフィルムを見てビックリしたですよ。ハッキリ言って、オーバーじゃ無くて。

ドン・イーグル

 こんな凄いね、「カチーッ」としたね、試合をどういうルートでやってたのかという、そりゃね今のレスラーであれだけしっかりとしたテクニック、そういったものを持ったレスラーというのはハッキリ言っていないですよ。だからそれを「ジーッ」と見ておって私は迂闊にもですね、あのインディアンレスラーの上にカール・ゴッチをオーバーラップさせてしまったもんね、2回も。1回だけじゃ無くて2回も。それ程のね、しっかりとしたテクニックの持ち主、核のある非常に素晴らしい試合をしてみせましたよ、ドン・イーグルというインディアンレスラーがね。

 だからそういった昔のレスラーが使っておった技っていうのは、ネーミングされていなかっただけであってね。ラリアートにしたって、あのハンセンが初めて使ったからあれが出来たんじゃ無いんですね、これ。あんなものは力道山時代からね、ことあるごとに何回か出てきましたよ。まあ、それはそれでいいんですけどね。

 また相打ちのラリアートの話に戻りますけどね。猪木って言うのはいかにプロレスというものを考え、自分の勝ちに結びつけるのにはどうするのかということで、必死に考えたという所産があのダブルラリアートの相打ちでしょ、あれ。だから、そういったものを考えつくというのはね、ちょっと出来ないですよね。あんなこと考えもつかないですからね。

 だからどのレスラーも、とにかくハンセンが「ガーン」とやってきた時に、まともに受けてないですよ。まともに受けたらもう、ハッキリ言って、首がめり込んでしまいますからね。だから坂口が一度、こんな難しいい顔をして、大阪駅のところでたまたまバタッと会った時に、こんな(難しい)顔をしてたんで、「どうしたんですか」と聞いたら、「ハンセンのラリアートをくって、首がめり込んでしまったんだ。どうにも痛くて我慢できないんで、大分から指圧の先生を呼んだんですよ」と言ってましたよ。

 皆さんも(その先生を)知ってる方もいらっしゃるかも知れない。大分にね、指圧の名人がおって、それが新日本プロレスのお抱え医師みたいに、そういった形で猪木の体も見て、坂口の体も見て、長州の体も調整してと言う風なことをやっていた名人がいるんですね。その人をわざわざね、飛行機に乗ってきてもらって呼んだと。それほど凄まじいんですよね、ハンセンのラリアートっていうのは。

 だからどのレスラーももうね、「たまらん、あんなラリアートをくらったら」と。だからが「ガーン」と当たるまで待っていないんですよ。来たな、と思ったらもうのけぞってしまってね、自分からね、のけぞってしまって「ドーン」と倒れると。これは防御法のなせる技ですからね。「そんな逃げるようなレスリングをするな」と言ったら間違いですね、これ。誰だってそうなりますよ。あのラリアートをまともにくらうバカはいないんであって、もう「バーン」と来たなと思ったら体をのけぞってですね、「バーン」倒れていくと、そういうことでね、ダメージを分散させないとたまったもんじゃ無いですよ。

 だからそれは新日のレスラーもやっとったし、全日に移ったときに三沢、川田あたりがやってたのもそれなんですよ。だから、「当たる前に倒れてるじゃ無いか」というね、そんな皮肉を言う人もおりましたけども、当たり前ですよね、これ。当たる前に倒れるぐらいのタイミングでないと、一歩間違ったら首がめり込むんですよ。だからそれ程凄まじいハンセンのラリアートだったけれども、猪木だけがね、胸をこう突き出して受けたですよね。

 あれも凄いね。あれだけ凄いラリアートをくらったらどうなるか分かりそうなもんですけどね。「それを逃げたらプロレスにならないだろう」とそう言われたらそれでお終いですよね。逃げたらプロレスにならない。それはその通りだけれども、しかし、あれだけのダメージをくうと分かっているのにね、猪木という人はわざと胸を突き出して受けるんですからね。絶好調のね、今見ていただいた通りの凄まじいバイタリティの爆発力を持ったハンセンのラリアートですよ。

 これはね、もう猪木は死にものぐるいで受けたと思いますね。だからそこら辺がね、この試合の見所のひとつでしょう。極端に言えば相打ちのラリアートを打った時点でハンセンのラリアートっていうのはね、やっぱり今日見ていただいたこの試合から比べますと、やっぱりトーンダウンしてるんですよ。50%も落ちてはいませんよ、そりゃ。しかし、今日見ていただいたこの試合ぐらいがですね、ハンセンのピークなんですね。技術的にはダメですよ。

 全日本に移ってからのあの円熟したハンセンは技術的にはずっと上ですけどね。単なるパワーとそれだけを言うなれば、今日の試合がおそらく頂点ですよ、荒削りですけどね。だから猪木は、ハンセンが全日本プロレスに移っていくと言ったときに、ハンセンの話を猪木の前にしゃがみ込んで聞いたんですけども、その時に

19811213

「負け惜しみでは無くて、俺はハンセンが全日さんに行っていい。というのは、俺と闘ったときのこれまでのハンセンが、ハンセンの絶頂期だし、一番良い時なんだから、そのピークというのをハッキリ言って過ぎているんだから、これから落ちていく一方なんだよ。だから俺が闘ったハンセンと言うのが一番凄いときのハンセンと闘っているんだから、これからのハンセンっていうのはそんなに惜しくは無いんだ。これは負け惜しみじゃ無い」

ということを何回も言ってましたよね。

 しかし今申し上げたように、やはり全日に移ってからのハンセンの凄さというのは、やっぱりありました。というのは円熟味が増しましたからね。これはもう、ゴルフの尾崎でも一緒でですね、パワーだけじゃやっぱりダメなんだな、パワープラスのテクニックでしょ。それがね、全日本プロレスに行ってから開花しましたからね。それはそれでいいんですけどね。猪木はそう言ってましたよ「全然惜しいとは思わない。悔しいとも思わない」と。だからそこは猪木と馬場とのプロレス観の違いでしょうね、やっぱり。

 それはそれでいいんだけども、ここでもう一つ。(新日本プロレスの番組なので)全日さんの話はあんまりしたくないんで、やめときますけど、平成4年の6月2日武道館で行われた三冠戦、これで川田がぶつかっていったという試合なんかもですね、「やっぱりハンセンがいなかったらダメだろうな」と、みんな言ったもんですね、これ。

 だから猪木が言った「どこに行っても、もう惜しくは無いんだ」というのは、やっぱり強がりですね、これ、強がりですよ。それはありましたね。だからこの試合をもういっぺんじっくり見たいと思うのは、やはり一番凄かった時のハンセン、これをもう一辺確認しないことには、その後のハンセン、そして現在のハンセン、そういったものが見えてこないんですよ。これはね、大事な点なんですよ。何でも無いようなことに見えて。

 猪木でもそうだし、藤波でもそうだし、木村健悟だってそうだ、長州だってそうなんです。一番凄かったときのね、藤波、長州、木村健というのをね、しっかり捕まえておくことが必要ですよ。これは基盤ですからね。基本ですからね。それをしっかり捕まえておかないと「あーだ、こーだ」、この前の1.4のIWGPのタッグ戦なんかでも、そういった藤波の、健悟の一番良いところを知らない人たちがですね、「何か知らんけど、8年半前にどーのこーの」と言ったところで、しょうが無いんですよね、これ。

 だから今日(オンエアされた)の試合って言うのは、これ、単に「ボーッ」と見ておられては困る試合なので、私は今日、わざわざ20何分使って、この話をしてるんですよ。だからこれが、ハンセンの原型であるというね。その後、9.23田園コロシアム、みなさんご存知ですよ、これ。そういったところで壮絶死闘をやりましたね。それの源流がね、ここにあったと。

 そういうことで、これからのハンセン、この番組で出てきますからね、ハンセンは何回も、見ていってください。そういうことで今日の時間が来ましたので、ハンセンについての私の話というのは終わりにしたいと。猪木にとっては11度目のNWF防衛戦、やっぱり名勝負のひとつでしょう、これ。ということで終わりにします。どうもありがとうございました。

闘いのワンダーランド #001-#050

Favorite Cafe 喫茶店トーク

コーヒーイメージ2

 

 

 

inserted by FC2 system