今月に入って掲示板に書き込んでいただいた情報を元に、久しぶりにワールドプロレスリング地上波放送リストの1990年を追加しました。
この年は大会ごとにタイトルが付けられている上にシリーズの数も多い年でした。でも短期シリーズで「ドリーム・ツアー'90」なんてたった全4戦だったんですね。これも坂口社長体制の新たな戦略だったのでしょう。
■ドリーム・ツアー'90
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
そのドリーム・ツアー'90開幕戦で「藤波辰爾vsアニマル浜口」のカードが組まれていました。「あれ?」と思ったのは、掲示板の書き込みでいただいたデータでは、アニマル浜口に白星マークが書かれていたことです。
新日本プロレス内の序列から考えれば、「これは書き間違いだな」と思いました。そう思いながらビデオを探し当ててみると、なんとしっかりと浜口がピンフォール勝ちをしているではないですか。
■藤波辰爾vsアニマル浜口
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
この試合、中盤で藤波がコーナーのセカンドロープに立って浜口に「雪崩式ブレーンバスター」をかけています。しかし、このあたりから明らかに藤波の動きがちぐはぐに。最後は藤波がバックドロップを仕掛けましたが、両者とも後頭部を強打して立ち上がれず、かろうじてカバーできた浜口に軍配があがりました。
■雪崩式ブレンバスター
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
■バックドロップ
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
■浜口が体固め
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
この試合、よく見てみるとアクシデントだったのかとも思えます。バックドロップを放った藤波は、その時点で「自分はもう動けない」と判断したのか、浜口にフォールを促すような動き。そして浜口が藤波を体固め。
藤波は全く肩を上げていないのに服部レフリーはためらうように2.5でカウントを止めてしまっています。それでも動けない藤波は、服部レフリーに「カウント入れて」と言っているようにも。
■動けない藤波
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
■アニマル浜口の勝利
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
勝ったものの何かしら戸惑っているようなアニマル浜口。それでも最後は大きく手を上げて、マイクで藤波に気合いを入れてました。これが体調万全ではない藤波と復帰して半年の浜口、二人の職人プロレスラーが作り上げた作品と見れば、あっぱれです。一方アクシデントだと見れば、プロレスの過酷さが伝わります。名勝負ではなくともこんな謎を残すようなプロレスこそ昭和プロレスの醍醐味ですね。(平成ですが)
■藤波に渇を入れて勝ち名乗り
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
藤波はこの試合が復帰2戦目。復帰初戦のタッグマッチでは長州にフォールを奪われ、この試合で復帰戦から2連敗。しかし、ここからIWGP王座奪取までのストーリーが始まります。
この試合を実際に観戦されたハンセンさんのブログ「ハンセンのゆるゆる日記」をみつけました。いいなぁ、会場で見たんだ。
■ハンセンさんのチケットの控え
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問題の喧嘩マッチ。
— pasin (@pasinpasin) October 24, 2020
両者最初から喧嘩ごしである。試合中にも関わらず若手が止めに入る。 https://t.co/xHi3sPuHGd pic.twitter.com/bZVFzJMru7
今月に入って久しぶりにワールドプロレスリング地上波放送リストの1990年を追加しました。掲示板に投稿いただいたデータを元に、このHPのフォーマットに統一してまとめました。放送日と対戦カード、勝敗まで、こんなに詳しく記録されているとは驚きです。そもそも自分の持っているビデオがちゃんと整理してなかったために、いつの録画なのかわからなくなってしまい、何年間かかけて整理した記録をまとめたモノがこのHPです。昭和プロレスをこよなく愛しているので、1989年までは頑張って整理しましたが、そこで力尽きていしまい、1990年以降はナゾの録画ビデオが多数ありました。
1990年の情報を書き込んでいただき、この年のビデオを30年経過した今、やっと内容を記録しておくことができました。ひろさん、ありがとうございます。(録画したときにちゃんと中身を書いておきなさい、ということですね)
1990年の放送リストの情報をいただいた「ひろ」さんの書き込みには勝敗までしっかりと書いてありますが、それまでのリストには勝敗を掲載していませんでしたので、そのフォーマットに合わせて省略していました。でも、いろいろと気にはなっているのです。
人生、一度や二度は死にたい、死のう、と誰でも思うのではないか。現実の苦しみに疲れ果てていた私は、借金や人間関係などの煩わしいことから逃げたかった。しかし、死ぬエネルギーがあるのなら、まだ生きられる。どうせ死ぬなら、私らしく闘って死にたいと思い至ったんですhttps://t.co/Zsj67BMFaQ
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) October 24, 2020