掲示板によく投稿いただく「ひろ」さんから、ずいぶん前から1990年のワールドプロレスリングの放送の記録を書き込んでいただいていました。ありがとうございました。やっとこのHPのフォーマットにそろえてアップすることができました。放送ビデオから対戦カードの画面をキャプチャしていると放送当時を思い出します。そのビデオもいつ、どこでの試合なのか不明なモノがたくさんありましたが、全部明らかになって気分もスッキリです。1980年代と比べると録画したビデオも少なくなっていて、猪木のセミリタイヤによって自分のプロレス熱が少しさめているのがわかります。それでも毎週録画して気に入った試合だけを残していたはずですが、今となっては消してしまったビデオのほうに、もう一度見たい試合がたくさんあるのが悔しいです。
■北尾光司デビューの朗報!
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
元横綱「北尾」デビューも話題でしたが、やはり1990年と言えば、2.10東京ドームでの「1、2、3、ダー」の初披露ですね。猪木の左目の青タンと坂口の左胸のミミズ腫れが激闘を物語っています。犯人は橋本真也、まさに破壊王です。
■社長のイスと赤い絨毯の「権力コンビ」(辻アナ)
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
■「1、2、3、ダー」
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
坂口征二引退、腰痛で長期欠場を余儀なくされていた藤波辰爾も復活。この年の流れを追っていくと猪木・坂口がいなくなった90年代の新しいワールドプロレスリングの始まりを感じます。
■3月15日 久留米大会
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
■1990年4月の放送より
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
9月の放送で、その藤波率いるドラゴン・ボンバーズに新加入の選手の紹介がありました。「キリフィ・サパ」、力士「南海龍」が大相撲から転向、期待の大型新人です。このビデオを引っ張り出すまでは、すっかり忘れていましたが。
■プロレス転向で心機一転
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
その後の活躍の話も全く聞かないし、どういう選手だったのかネットで検索。
南海龍 太郎(なんかいりゅう たろう)
本名キリフィ・サパ(Kilifi Sapa)
1965年2月22日生まれ
西サモア(現・サモア独立国)出身
元プロレスラー
高砂部屋所属の元大相撲力士
最高位は西前頭2枚目(1988年5月場所)
188cm、144kg
なるほど、これはプロレスラーとしても有望選手です。ただ無類の酒好きで酒癖も悪かったとのこと。本場所を二日酔いで休場という失態もあり、ついに部屋から見放されて廃業。そしてプロレス転向、と言う経歴です。
いいんです、プロレスラーはそれぐらい豪快な方がいいんです。ところがドラゴン・ボンバーズ在籍中にも酒で不祥事を起こし、プロレスからも見放されてしまったようです。
その不祥事というのが、酔っ払って運転していたバイクを他の乗用車に投げつけてぶっ壊した、というもの。文面から察するしかありませんが、まず、バイクを飲酒運転していた。そして何かの原因で他の車とトラブルになって自分のバイクを投げつけた。と言う展開のようです。なんとも豪快すぎますが、これによりプロレスデビュー予定の一週間前に新日本プロレスをクビになってしまったとのことです。
■写真はイメージです
沖縄原付王!スクーターキング 快適原付生活!より
そういう訳なのでデビュー後の活躍が聞こえて来ないはずです。それでもWikiでは「元プロレスラー」扱いです。今、どうしているんでしょう。
そしてこの年の締めくくりは「イラク平和の祭典」。この時ほどプロレスファンであることを誇りに思った瞬間はありません(この時だけ、かも)。でも先日プロレスラーが盗撮男を捕まえましたね。やっぱりプロレスラーは凄いんです!
■イラク平和の祭典
テレビ朝日「ワールドプロレスリング」放送キャプチャ
プロレス雑誌の表紙集のギャラリーページも見てね。
ツイッター twitter も見てね。
サイト内検索ボックス
プロレスラーが盗撮男を〝現行犯逮捕〟 被害者女性に粋なメッセージ残す https://t.co/ZFFLGeGtyP#pwzero1 #ヤス久保田
— 東スポ プロレス格闘技担当 (@tospo_battle) October 7, 2020
ジャイアントサービスの社員か。
— コブラ@昭和プロレステーマ曲研究家 (@kokontezangetsu) October 9, 2020
https://t.co/pvMSX53DY4