■1983年5月17日付 東京スポーツ1面
■1983年5月17日付 東京スポーツ2面
1983年5月15日、第1回IWGP第10戦は後楽園ホール。
ジャイアントvsホーガン戦。リーグ公式戦では無くスペシャルマッチです。ノーテレビでした。「ホーガン、大巨人を爆殺」。ハイライトはホーガンがジャイアントをボディースラム!!。ボディースラムでリングにたたきつけられるジャイアント、一度は会場で見てみたかったなあ。そしてこういうド迫力マッチを実現させるためには「両者リングアウト」決着(?)は不可欠です。ファンが文句を言うから次第に無くなっていった不透明決着ですが、ファンの言う通りにすれば良いというものじゃ無いんですね。
猪木プロレスは毎回毎回、裏切ってくれました。なぜかそれが中毒になって追っかけちゃうんです。
ジャイアントvsホーガン、5月27日の高松大会での公式戦が楽しみです。
■この日の試合結果
(1983年5月17日付 東京スポーツ)
前田はカネックを一蹴。猪木とUWA世界王座を争っていた頃のカネックが懐かしい。
エンリケ・ベラはまたまた、またまた小林邦昭に敗れてしまいました。
■長州フォール負け
(1983年5月17日付 東京スポーツ)
タッグマッチとはいえ、猪木が長州を完全フォール。混乱の中でのフォールとは言え、新日本プロレスはWWFインターナショナルヘビー級王者の長州をどう扱おうとしているのか疑問です。その後の歴史をみれば、長州はこの状況からさらに浮上していくので、やはり本人の努力、自己プロデュース力が優れていたのでしょう。
乱入が横行したハチャメチャな時期も、今思えば面白かった。
ちなみに第3面は、全日本プロレス・グランド・チャンピオン・カーニバル。
■1983年5月17日付 東京スポーツ
こちらは連日ブロディが大暴れ。
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猪木欧州ツアーの全容が最も詳細に掴めるのは『プロレス史 百花繚乱』だがウィルフレッド・デートリッヒ戦については依然謎が残る。デートリッヒ戦は2回行われているが、1戦目については百花繚乱においても記載が少ない。猪木が投げまくられたのは2戦目という事だが、初戦は腕固めで猪木が勝ち(続く pic.twitter.com/YxvWrNG9d8
— pasin (@pasinpasin) May 13, 2020
猪木失神KOまで、あと18日。
【コーラルゼットよりのお知らせ】
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) May 13, 2020
大きなニュースです! 5月25日(月曜日)に単行本「アントニオ猪木 闘魂語録大全」が全国書店にて発売となります。
人生にもビジネスにも効く! 言葉の「闘魂ビンタ」108発、常識を超えた発想と行動力を生む全思考でアントニオ猪木語録の集大成です! pic.twitter.com/i81ImNicAo