■1983年5月8日付 東京スポーツ一面
■1983年5月8日付 東京スポーツ二面
1983年5月6日、第1回IWGPが福岡スポーツセンターで開幕しました。この日は金曜夜8時の生中継、メインイベントの開始が8時40分頃だったでしょうか。「これは放送に入りきらないな」と半ばあきらめ気味でテレビの前に座っていたことを思い出します。セミ前、セミファイナルが長くてイライラするのも「生中継」の醍醐味と言えば醍醐味です。
優勝候補同士の激突。絶対に星を落としてはならない初戦で黒星のアントニオ猪木。開幕からいきなりピンチ。こういう展開だから引き込まれちゃうんですよね。もう、アントニオ猪木の手のひらで転がされている純粋な一(いち)ファンなのでした。
最終戦・6.2蔵前国技館で歴史に残る事件を起こす(巻き込まれる?)ハルク・ホーガンは、キラー・カーンに快勝。
■試合後のインタビュー
(1983年5月7日付 東京スポーツ)
前田はタッグ対決ながら中南米代表のエンリケ・ベラに勝ちました。リーグ戦での活躍が期待できます。自宅が強盗に入られてしまったディノ・ブラボーは、一試合もしないまま帰国してしまいました。
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週刊ファイト 第526号
— 若月(仮) (@wakatsukisensei) May 5, 2020
(19780124発行)
前月に「UFO」をリリースしたばかり、絶頂期のピンク・レディーのインタビューが掲載され、表紙にも登場。
そこにプロレス側からサモアンズを起用するセンスには脱帽。
シンが格闘技路線進出…の記事も!#懐かしプロレスグッズ pic.twitter.com/L19NVHrSc2
猪木失神KOまで、あと27日。
WWEアメリカ公式ショップにWWEマスクが登場🔥
— WWE Japan (@WWEJapan) May 5, 2020
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