■1983年5月10日付 東京スポーツ
1983年5月7日、第1回IWGP第2戦が佐賀スポーツセンターで行われました。日曜休刊の東スポでは土曜日の試合は通常は扱いが小さいんですよね。月曜日発売分にちょこっと掲載されるくらいです。
でもこの日(5月10日・月曜日)の東スポは土曜日の佐賀の試合が一面トップ。記事が古く感じられるのを嫌ってか、いつの試合の写真なのか書かれていませんが、猪木とジャイアントがタッグで激突したのは佐賀大会でした。
ジャイアントは優勝候補だけあって、併せて8日姫路大会の坂口&木村健組との試合レポートも。ジャイアント大活躍です。
そして「ちょこっと」の掲載の中になんとでっかい文字で、あの「オットー・ワンツ勝利、勝ち点5!」の文字が。
■1983年5月10日付 東京スポーツ
○オットー・ワンツ(体固め)エル・カネック●
最初は調子よかったんですね、オットー・ワンツ。途中でのまさかの負傷、戦線離脱、帰国が惜しまれます。これはもしかしたら予定通りだったりして・・・と疑ったりもしました。
それよりも問題は・・・
○小林邦(エビ固め)エンリケ・ベラ●
「真の世界チャンピオン」を決めるIWGPリーグ公式戦参加選手、中南米地区予選を勝ち抜いた強豪がジュニアヘビー戦士にやられたらマズイじゃないですか。リーグ戦に水を差すような試合結果ではありますが、当時は今とは違って地方の試合結果は東スポを購入しているファン、あるいは1~2ヶ月後の月刊プロレス・月刊ゴングの熱戦譜を隅から隅まで目を通すファンにしかわかりようがない時代でしたから、こんな結果でも問題なかったのでしょう。
■1983年5月10日付 東京スポーツ
「前田光る強“蹴”長州へ空中弾連発」とはいったいどんな技?ニールキック連発でしょうか?。そして結果はフェンスアウト。当時は忌まわしいルールだと思っていたのですが、今思えば、不透明決着のバリエーションは必要悪だったのだと思います。現在の両者リングアウトが無い試合展開を物足りなく思う昭和プロレスファンです。
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週刊ファイト 第526号
— 若月(仮) (@wakatsukisensei) May 5, 2020
(19780124発行)
前月に「UFO」をリリースしたばかり、絶頂期のピンク・レディーのインタビューが掲載され、表紙にも登場。
そこにプロレス側からサモアンズを起用するセンスには脱帽。
シンが格闘技路線進出…の記事も!#懐かしプロレスグッズ pic.twitter.com/L19NVHrSc2
猪木失神KOまで、あと26日。
エル・カネックvs藤波辰巳を見る。藤波さんからマスクを破られてしまうカネック。裏側は十字テープ仕様、生地は一重っぽい、こんな簡単に破られてしまうとは、、この試合のリングサイドにはのちに言葉でマスクを脱がされる平田淳嗣さんと虎ハンター小林邦昭さんがいる。どんな気持ちで観ていたのだろう pic.twitter.com/6baGmVaZ6B
— Kwik - kick - tiger (@iwgp2013) May 6, 2020