■古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD
ニッポン放送HPより
先日、古舘伊知郎さんがメディアで自身のプロレスを初観戦のエピソードを語っていました。(たしかオールナイトニッポンだと思うのですが、記憶が定かではありません。もしかしたら「徳光和夫のプロレス自慢できる話」の再放送だったかも。)いろいろな番組で古舘アナが何度か話されているので、ご存じの方も多いかと思います。そのエピソードとは・・・
小学校5年生の夏休み、古舘少年は親戚の叔父さんに連れられて初めて後楽園ホールに行ったのです。アントニオ猪木のカードはセミファイナルで吉村道明と組んで外人組との試合でした。
古舘少年の印象に残っているのは、そのあとのメインイベント、ジャイアント馬場vsジェス・オルテガ戦での出来事です。試合の終盤、ジャイアント馬場がオルテガの反則に大流血。いいようにいたぶられている時、颯爽とリングに駆け上がった黄色いタイツ姿のアントニオ猪木が、オルテガを蹴散らして馬場を救出しました。そして猪木はマイクを手に「明日の川崎に来い!、絶対にオルテガを叩きのめしてやる」と叫びました。その猪木の視線は客席の前から10列目あたりに座っていた古舘少年を見つめていたのです。古舘少年は確かに自分に向けた言葉だと感じました。
しかし、プロレス観戦は当時の彼にとっては一大イベント。二日連続で「プロレスに連れて行って」などと言えるはずも無く、「明日来い」と自分に言われたのに川崎の試合に行くことができない悔しさを胸に家路についたのでした。
■少年時代の古舘伊知郎
テレビ朝日「あいつ今、何してる」HPより
そして時は流れて古舘伊知郎はテレビ朝日にアナウンサーとして入社しました。まだ番組の担当も決まっていない頃、何の因果か川崎体育館で新人のアナウンス研修。その研修とは、なんとアントニオ猪木へのインタビューだったのです。小学校5年生の時の後楽園ホールでの観戦の記憶がよみがえった古舘は舞い上がってしまい、最初に発した質問が「猪木さん、今朝、何を食べましたか?」。このおかしな質問にもアントニオ猪木は「スパゲティとコーヒー」と優しく答えてくれました。調子に乗った古舘はこの時とばかりに「10年前の後楽園ホールで、明日川崎に来いと言われましたが、行くことができず、ついに今、猪木さんの前に来ることができました」と言ったのです。
おかしな質問に続いての意味不明なインタビューに、先輩の船橋慶一アナに「もういい」と研修インタビューを打ち切られたとのことです。(この部分は古舘アナの脚色っぽいですが・・・)
さて、これがいつの大会だったのかが気になるのでちょっと調べてみました。日本プロレスの夏休みの時期の興業、後楽園ホールから川崎大会への連戦、確かにありました。
日本プロレス「第一次サマーシリーズ」の開幕戦、後楽園ホール大会は夏休みに入ったばかりの7月21日でした。
■1967年7月21日 後楽園ホール
タッグマッチ45分3本勝負
アントニオ猪木&吉村道明
vs アート・マハリック&アントニオ・プグリシー
①猪木(アバラ折り19分20秒) vs マハリック
②時間切れ引分け
と言う記録が残っています。
確かに、後楽園ホール、猪木と吉村のタッグです。
■1967.7.21 後楽園ホールの猪木
「猪木戦記 第1巻 若獅子編 - 流智美」より
■1967年7月22日 神奈川・川崎球場
タッグマッチ 60分3本勝負
アントニオ猪木&ジャイアント馬場
vs ジェス・オルテガ&アート・マハリック
①オルテガ(体固め14分56秒) vs 猪木
②猪木組(反則勝ち2分54秒) vs オルテガ組
③馬場(片エビ固め1分1秒) vs マハリック
■1967.07.22 川崎球場の試合
これが、古舘少年がどうしても行きたかった川崎球場の試合。ちゃんと記録に残っていました。ただ、1967年には古舘少年は小学5年生ではないような気がしますが、記憶に1~2年の誤差があるのは仕方ありません。
そして猪木は苦戦の戦績。しっかりと当時のエース、ジャイアント馬場を立てています。
プロレス雑誌の表紙集のギャラリーページも見てね。
ツイッター twitter も見てね。
サイト内検索ボックス
北海道と英語の訛り トークが止まらないグレート小鹿 pic.twitter.com/9ElJD2lQ1z
— ねひつじ (@nehitsuji) November 28, 2020
【コーラルゼットよりのお知らせ】
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) November 26, 2020
プロレス名勝負読本、本日より発売です!
巻頭に猪木会長が自身の「名勝負」を語られています。
ぜひご一読ください。宝島社様、ありがとうございます。 pic.twitter.com/J7GFRbYTqf