■1983年5月21日付 東京スポーツ2面
1983年5月19日、第1回IWGP第14戦は大阪府立体育会館。
ついにIWGP中盤戦の大一番、アントニオ猪木vsハルク・ホーガン。アンドレ・ザ・ジャイアントがリングサイド最前列に陣取って観戦。何か起こることが予感されるシチュエーションです。
猪木とホーガンは好勝負を展開するも、案の定ジャイアントがフェンスの外から介入したため両者フェンスアウト。そのあと再びリングサイドの椅子に腰掛けたまま、両手を挙げて「オレは知らないよ」という表情がテレビ画面で印象的でした。
■試合に手を出したアンドレ・ザ・ジャイアント
(1983年5月21日付 東京スポーツ)
ジャイアントの嬉しそうな顔がたまらないですよね。だからジャイアントは憎めないのです。
■この日の試合結果
(1983年5月21日付 東京スポーツ)
そんなジャイアントは、公式戦でスタッドからしっかりと勝ち点5。
第一試合はフレッシュな高田vs山崎。
プロレス的には超重要な大阪大会でしたが、東スポ1面は「オークス最終予想」でした。
■1983年5月21日付 東京スポーツ1面
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1977年4月頃発行
— 若月(仮) (@wakatsukisensei) May 17, 2020
新日本プロレス 会報 anton 第3号
『期待の大物ルーキー 吉田光雄
リングネーム "長州力"に決定!!』
という記事が最終面に掲載。
マテ茶記事の4分の1程度という小さな扱いなのはちょっと可哀想な…。#懐かしプロレスグッズ pic.twitter.com/Q2gKYwWSdW
猪木失神KOまで、あと14日。
CM 「三菱プロッキー」
— JUNK (@XMbHWFpbX) May 18, 2020
浅野ゆう子。移らない臭わない@retoro_mode pic.twitter.com/SzyC3ZvngW