前回の更新では安生洋二の「オレの激闘ベスト5」を視聴して面白トークをピックアップしてみました。安生は放送の中でも“天敵”前田日明のことを「あの人は記憶をナチュラルにきれいなストーリーに塗り替えちゃうんですよ。ドス黒い、汚ーいことを考えているのに・・・」とボロクソに言っていました。それでは、アキラ兄さんは同番組で何を語ったのか気になって再度視聴しました。安生選手についての話は出てくるはずもありませんが、UWF設立、長州について、UWF、安生の言う「塗り替えるんですよ」というのがあるのか無いのか、トークから面白かった部分を少し書き出してみました。
■蝶野・前田
放送画面キャプチャ
前田:新間さんに「モハメドアリの弟子にしてやるから」って言われて、本当に信じたんだよね。だから入門した頃には、新日本プロレスはそのために体作る場所でちょっとの間お世話になる場所だと思ってたんだけど。
蝶野:入門された頃の新日本プロレスっていうのはどんな感じだったんですか?
前田:入門したばかりの頃は誰もスパーリングの相手をしてくれないし、一人で練習してたら猪木さんにリング上から「おい、上がってこい」と言われたんだよ。「参ったな、アントニオ猪木だから下手なことができないし、ダメな奴だとも思われたくないし、どうすればいいのかな」と困ってしまって。
その時に思い出したんだよね。空手バカ一代で大山倍達が「大型レスラーを倒すには金的と目つきしかない」と言っていたのを。それしかないな思ってリングに上がったんだよ。それでスパーリングを始めていきなり“金的”と“目つぶし”をやって。金的は当たらなくて内ももに入ってしまったんだけど、目つぶしは片方だけこするように入ったんだよね。そしたらその瞬間に木村健吾さんとか周りで練習していた人たちがリングになだれ込んできて、フルボッコにされたんだよ。
蝶野:その時までスパーリングが何かさえも教えてもらってなかったんですね。
■前田日明
放送画面キャプチャ
蝶野:長州さんはどんな感じでした
前田:ゴリラみたいな人だと思ったね。でも大学の気のいい先輩みたいな感じでね。印象に残っているのは長州さんのリングネームが決まった時に「長州力だぜ、どう思う?」って、あのリングネームを凄く嫌がってたんだよね。「向こうはジャンボ鶴田だぜ」と。「今時、『長州力』は無いだろう」ってボヤくんだよね。
蝶野:長州さんとは前田さんが海外遠征から帰国してから初めて闘ったんですか?
前田:初めてでしたね。海外遠征前は俺は前座で第5試合ぐらいから後の試合には出たことなかったからね。長州さんはセミかメインだから、一度もやってないね。
■サソリ固め
放送画面キャプチャ
前田:初対戦の時は長州さんは妙にカタかったんだよね。何、このサソリ?
蝶野:普通あんな形にならないですよね。
前田:こんなのされたら俺がキレたくなる気持ちがわかるでしょ。ここまでやるんだったら、じゃあ次は何やってもいいだろうと思わない?あのサソリはないぜ。
蝶野:ここまでやっていいのか、「じゃあ次は俺がやるぜ」っていうのが溜まってくる訳ですね。
前田:「だったら次はやらしてもらうぜ」と。リング上はやったもん勝ちだから。橋本vs小川戦だって、橋本がやり返さなかったのが残念だったね。それまでに何回も注意したのにね。
蝶野:ほかにそんな思いが、積もっていく対戦相手はいましたか?
前田:いや、そんなにいないね。アンドレだってやりやすかったし、津大会の前はタッグマッチなんかでも上手くできたけどね。マードックやスーパースターとだってちゃんとプロレスができていたしね。
■前田vs藤原
放送画面キャプチャ
蝶野:UWFっていうのは・・・
前田:最初はハイセルの問題だね。当時ブラジルが経済破綻して、お金いくら突っ込んでも何も返ってこない状態だったんだよね。新日本プロレスは儲かっているのにギャラは上がらないし、金庫開けてみたらお金が全くない。そんな時に「ユニバーサルプロレスっていうのをやるから先発隊で行ってくれ」と言われて。そういうことを知っているのは俺とラッシャー木村さん、剛竜馬さんとかそのあたりだけで後は知らないんだよね。
蝶野:藤原さんとか高田さんとか、凄いメンバーですよね。
前田:UWFのメンバーとかはどうやって集まったのかというのかというと、リング上でスパーリングやってたら邪魔だからって追いやられてね、体育館のステージの板の上とかでやることになったんだよね。そしたら肘とか膝とか擦りむいて大変なんだよ。それでこの練習をするグループを多数派にするしかないなと思って、入ってくる若い奴らを引き入れていたら、結局そのメンバーがUWFの中心メンバーになったんだよ。
蝶野:藤原さんはまっすぐな人でしたよね。
前田:入門した当時は新日本プロレス内でも藤原さんは「ヤバい人」だったね。腫れ物に触るというか、みんな近寄らないようにしている存在でしたね。そんな藤原さんと普通に話ができる人は荒川さんだけだったんだよね。あの二人は仲が悪く見えるのに妙に気が合うみたいな不思議な関係だったね。その荒川さんはコミックプロレスみたいなことをすでにやってたね。なぜか猪木さんも山本さんも怒らない。
前田:ルスカが初めて日本に来たときに新日本プロレスの道場で「誰かスパーリングやってあげて」って言われて誰も手を上げないから藤原さん手を上げたんだよ。それでリング上でルスカを極めまくってね。そんなので「新日本プロレスを守ったのは俺だ」って意識があるから、「何で木村健吾がグリーン車で、俺が普通席なんだよ」って。木村健吾さんとはいつもバチバチだったね。
■前田vs藤波
放送画面キャプチャ
蝶野:UWFvs新日本プロレスの頃は?
前田:当時「新日本プロレスに捨てられて恨みを持っている」という自分のキャラ設定で行くことにしたら、新日本プロレスが真に(まに)受けてね(あんな感じになった)。猪木さんと試合をやったとしても次に続くような試合をやろうと考えていたのにね。
蝶野:(藤波戦を見ながら)この頃は俺らは、毎回毎回何かある、危ない試合という感じで、緊張しながらセコンドについてましたね。ケンカになるんじゃないか、誰か怪我するんじゃないかと。
前田:いや、コレは本当にアクシデントだったんですよね。藤波さんが右によけていいのか左によけていいのかわからなくて、とっさにあごを引いたら頭に入って、頭が「パカッ」と切れちゃったんですよね。
(モハメド・アリの話)
■1998.4.4 モハメド・アリ
LD「アントニオ猪木物語」より
前田:猪木さんの引退試合の時に花束を渡すために会場に行ったんだよね。そしたらモハメド・アリが来ているというじゃないですか。どうしてもサインが欲しくてね「アリのサインがもらえないなら花束を渡さない」とゴネたらアリの控え室に行くことができたんですよ。それでアリを目の前にして「私はあなたの弟子になれると騙されてプロレスの世界に入ったんです。大ファンなんです。サインしてください」と言ったら、アリは立ち上がって「ボクシングの構えをしてみろ」と。それでお互いボクシングの構えで向き合って「お前は俺にサインをしてくださいと言いながら俺に挑戦してきてるだろう」と言うんだよね。
そしてアリが“ピクッ”と動いて「今のが見えたか?俺は今の瞬間に10発のパンチを出したんだよ」と言うので「さすがアリ・ザ・グレーテスト」と言ったらサインをくれて、もう嬉しくてね、スキップしながら部屋を出ましたよ。
■アリにサインをもらった後の前田
LD「アントニオ猪木物語」より
この日の放送では前田のトーク内容が控えめな感じ。やはり「テレビ朝日・・・」という大手メディアを意識していたのでしょうか?
ルスカの初来日は1976年、前田の新日本プロレス入門は1977年なので、ルスカと藤原のエピソードは聞いた話なんでしょう。
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1998年7月20日、横浜アリーナ。前田日明リングスラストマッチにアントニオ猪木、天龍源一郎、藤原喜明、山本小鉄、平田淳嗣、山崎一夫、アニマル浜口、シーザー武志らと共に、来賓として招かれた高田延彦。和解の兆しはあったんだけどねぇ……。 pic.twitter.com/izoOet6cXl
— ぺてちん@リングスの魂 (@petechiteta) December 20, 2020
安生洋二の言うように、ナチュラルに塗り替えられている記憶もあるような気がします。
おっと長州 pic.twitter.com/YTa8Rz4iHK
— ねひつじ (@nehitsuji) December 20, 2020