■1983年5月24日付 東京スポーツ
1983年5月22日、第1回IWGP第17戦は宮崎延岡市体育館。
21日(土曜日)に左足を痛めた猪木の翌日の試合です。精彩を欠く猪木をカナディアンバックブリーカーにとらえるジャイアント。このところジャイアントがやられている写真ばかりが大きく扱われていましたが、この日の写真は猪木を軽々と担ぎ上げた姿のワンショットです。
タッグマッチはホーガンの活躍でなんとか白星という結果。
■この日の試合結果
(1983年5月24日付 東京スポーツ)
前田は今シリーズ、坂口と組むことも多いですね。しかし、テレビマッチではあまり記憶がありません。見てみたい気がします。
エンリケ・ベラはキラー・カーンに負けました。
第3面にザ・プロレスの広告、「緊急!長州力は?」
■ザ・プロレス広告
(1983年5月24日付 東京スポーツ)
こういう広告を目にすると「ザ・プロレス52号」を引っ張り出したくなります。
表紙の見出しを眺めると「新日脱退・長州新天地」「Tマスク、1億円引き抜き」と、もう事件だらけの新日本プロレスです。
■ザ・プロレス52号表紙
このときにすでに「全日移籍」もささやかれていたのですね。でもそれは1年以上先の話。一連の長州の動きから、正規軍vs維新軍の抗争、綱引きマッチや柔道方式勝ち抜き戦など、新日マットは活性化されました。
見出しに「猪木が打ち明けた全真相」「えっ?」って思ってしまいます。猪木の仕掛けだったのか?。でもよく読んでみると、「長州から連絡はあったが・・・」という内容。ほとんど「真相」は解明されていません。
これも新日の話題作りかとも思っていましたが、翌年には大どんでん返しの全日移籍でした。さすがに全日登場は本気の離脱だったんだと思っていたら、またまた後年の前田の証言に「長州さんがコレに“行け”と言われたと話していた(あごに握り拳)」とあり、再度驚き。
すべての真相はアントニオ猪木氏の頭の中にだけあるんでしょう。猪木氏から「今だから話せる・・・」を聞いてみた気がしますが、それを言わないのが猪木氏のいいところです。もし語られたとしても、今となってはそれが真相なのかどうかもわかりません。謎は謎のままでいいんです。
高田伸彦のインタビューが掲載されていました。
■高田伸彦インタビュー
(ザ・プロレス52号)
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ジェリー・ローラー対ビル・ダンディ (1985)
— コブラ@昭和プロレステーマ曲研究家 (@kokontezangetsu) May 21, 2020
「テネシーの人は荒っぽい」と思い込む、昭和のプロレス少年あるある。 pic.twitter.com/hmJoahXhtE
猪木失神KOまで、あと11日。
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