■1983年5月27日付 東京スポーツ
1983年5月25日、第1回IWGP第20戦は千葉銚子市体育館。
「R木村に245キロ頭突き」
ラッシャー木村がジャイアントに強烈な一撃を食らってます。
アンドレ・ザ・ジャイアントvsラッシャー木村。哀愁が漂うカードだと思う方もいらっしゃるでしょう。モンスター・ロシモフが国際プロレスに参戦していたのは1970年代前半。新日本プロレスに来日するようになっても、国際プロレス時代の恩義を忘れず、1979年にも国際プロレスのマットに登場。ラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座に挑戦しました。
■1979年7月31日付 週刊ファイト
こちらの写真は逆に「R木村が245キロに頭突き」、ジャイアントに強烈な一撃を食らわせています。
さらに右側の写真に実況が付くとすれば、「おっとー、ジャイアント相手に逆エビ固めでありましょうか?」と言うシーンですが、記事を読むと残念ながらステップオーバーはできなかったようです。
そしてチャンピオンのラッシャー木村は“見事”に、とは言えないもののジャイアント相手に「防衛」の結果を残しています。
■この日の試合結果
(1983年5月27日付 東京スポーツ)
前田はスタッドに負けちゃいましたか。
前座では高田vs山崎。
■1983年5月27日付 東京スポーツ第1面
「タイガーマスク、名前返上へ」
これは衝撃ですね。“新日本プロレスに一体何が起きているのか”と思ってしまいます。実際に前年のアントニオ猪木監禁事件(一説には新間寿監禁事件、一説によるとでっち上げ事件とも)も起きているし、そのあとのクーデター、UWF、大量離脱と大混乱の新日プロですから、「名前返上」なんてほんの序章に過ぎません。
そんな修羅場を生きてきた猪木だから「何が起きようが小いせえこと」って言えるんですね。
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ちょっと達観したような言葉だけど俺の意識がこの1~2年で変わって来てる。
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) May 14, 2020
生き様としてね。
何が起きようが小せえ事じゃん。
誰が何を言おうが俺は今日こうやって生きているわけで、それだけで俺はもう良いやと思ってる。 pic.twitter.com/Yj9ON4TuRX
猪木失神KOまで、あと8日。
おはようございます☀
— たえ💚 (@taekjhappy) May 24, 2020
1963年の今日、 東京体育館でWWA世界ヘビー級選手権試合が行われ、力道山がザ・デストロイヤーに完璧な足4の字固めをかけらてもギブアップすることなく引き分けになったようですが、テレビの平均視聴率は歴代4位の64%もあったようです📺
それでは、今日もよろしくお願いします😊 pic.twitter.com/bYW7tO4j4Q