■1983年5月28日付 東京スポーツ
1983年5月26日、第1回IWGP第21戦は日立市中央体育館。
小見出しに「IWGP高松大会24時間前」とは、それだけ高松大会は本当に重要な大会だったことがわかります。ジャイアントは高松のホーガン戦に向けて気合い十分、大暴れでした。木村健吾を子供のように抱え上げています。援護射撃のアリキックも効かない様子。高松大会が楽しみです。
■この日の試合結果
(1983年5月28日付 東京スポーツ)
高田のミサイルキック炸裂!。永源のラリアート。多彩な技が繰り出された前座試合。そしてスタッドvsカネック戦が熱戦だったようです。
■スタッドvsカネック
(1983年5月28日付 東京スポーツ)
カネックは新日本に登場し始めた頃から好きだった選手の一人です。
■1983年5月27日付 東京スポーツ第2面
「鶴田“流血卍”」
ジャンボ鶴田vsブルーザー・ブロディ、ついに鶴田が「卍固め」を出した。腕ひしぎも出した。テーズ直伝のバックドロップも出した。勝利目前で逆上、反則負けとは。ここまで攻め込んでもブロディを倒せない。
そもそも「インターナショナルヘビー級選手権」は日本プロレスの至宝。大人の事情で獲得できないタイトルではないはずなのに、なかなか鶴田の手に渡らない。ブロディが難攻不落であることで、このタイトルはそんなに簡単に手に入るタイトルではないと思わせる説得力がありました。
■1983年5月27日付 東京スポーツ第1面
第1面はミスター・シー・ビー
■ミスター・シー・ビー
(1983年5月28日付 東京スポーツ)
■吉永正騎手
(1983年5月28日付 東京スポーツ)
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思い出話。
— コリペイビン (@corypabin) May 24, 2020
後楽園ホール。いつもの楽しいプロレスやってたら「真面目にやれ―」とのヤジ。
その瞬間客席に向かい「何だとコノヤロー!」
笑い声も起きたのだが、アレはガチの怒りだった。
察したか永源に攻撃受けてすぐにいつもの空気に戻ったけど、真面目な木村には許せない一言だったのかなと https://t.co/GOshfo8psW
猪木失神KOまで、あと7日。
こういう話題待ってたよ🐵https://t.co/nRVtSIIHcm
— せやねん (@hinakotetsu) May 25, 2020