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1983年6月2日、第1回IWGP優勝戦。「6.2蔵前」という一言で全部が思い出されます。
「山口良一のオールナイトニッポン」で全部の時間を「猪木、生還してくれ・・・」特集にしてしまっていたのも忘れられません。当時はインターネットも無いので最新情報や猪木の容体を知るためには、テレビ・ラジオ・新聞ぐらいしかありませんでした。テレビが延々と猪木の情報を伝えるわけも無く、新聞は一日遅れ、この時は生放送のラジオが一番の情報源だったのです。
本当に心配しました。もう二度と「猪木プロレス」を見ることができなくなっちゃうんじゃ無いだろうかと。
後にはこれは猪木の自作自演、と語られていますが、それを聞いて「やっぱり猪木はすごい!」と感じました。こんなプロレスをアドリブで作れるなんて天才だと。ますます「猪木プロレス」にのめり込んでしまう試合でした。そして猪木が「これは自作自演だ」と言ったことは一度もありません。あくまでハードな試合でのアクシデントだったのです。真相は墓場まで持っていく、この一貫したスタンスもアントニオ猪木の魅力です。「実はあの時・・・」みたいな事を言わない、そんな信念を持ちたいものです。
この時のホーガンも絶妙(?)の対応。一瞬戸惑いながらもジャンプして派手に喜ぶ、そのあと立ち上がらない猪木を心配する。この時は「大変なことをしてしまった」本気で猪木のことと自分のことを心配してたんでしょう。でも、猪木の容体を案ずる姿や、観客に「静かに・・」とサインを送る姿には好感が持てました。そして、坂口と新間さんに叱られているホーガン。リング上にはまさにリアルなプロレスが展開されていました。みんなが「真剣勝負」をしていました。もちろん「意識不明の猪木」も。
言わなくて良いことは、言わない。墓場まで持っていく、というのは大事な事だと思います。先日ラジオの質問コーナーで「職場に元彼と今カレ、元不倫相手がいるのですが、今カレにバレてしまうのでは無いかと心配でたまりません。どうしたらいいでしょうか?」という質問があって、「いつかバレて大変なことになるより、早めに言っておくべき」という回答でした。いやいや、バレたとしても「知らない、ただの噂だ」と死ぬまでシラを切るべきだと思います。それでみんなが幸せになるのなら。