■1983年6月12日付 東京スポーツ2面
「引退したい」
衝撃の「6.2蔵前」から8日後の6月10日、まだまだ本調子ではないアントニオ猪木が久々に出社して、記者会見。
■悲壮なまでの決意
(1983年6月12日付 東京スポーツ)
見出しは「引退したい」ですが、会見では「もう一度立ち上がる」との悲壮なまでの決意を語りました。でも、元気がない様子が心配です。
■猪木の胸中は不安でいっぱいなのか
(1983年6月12日付 東京スポーツ)
新間さんが猪木を迎えに行った先が「ハイセル社」だったから、なおさら「不安でいっぱい、終始落ち着かない・・・」様子だったのかもしれません。
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オレの中ではIWGPの初代王者はハルクホーガン。あの日、1億円のベルトを最初に巻いたのは彼なのだから。 pic.twitter.com/cHqaimZUUF
— Kwik - kick - tiger (@iwgp2013) June 10, 2020
鉄の棒が4~5秒で消えて無くなるらしい。
世界のゴミ問題を解決するための、『水プラズマ』による廃棄物処理の実現です。1万度以上にも達する『水プラズマ』を使えば、瞬時にゴミは消滅し、水素に変化するというんですよ
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) June 3, 2020
コロナが落ち着いたら、本格的に始動しますよ pic.twitter.com/XtIXzm4mIW