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アンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリー番組(2023/6/15更新)

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■HBO Documentary ”Andre the Giant"
HBO_Andre

HBO_Andre
 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

 もう5年も前になりますが、2018年に米ケーブル局HBOで85分間の番組『アンドレ・ザ・ジャイアント』が放映されました。WWEの協力や映像提供を得て制作されたアンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリー作品です。オープニングタイトルには新日本プロレスのリングでの猪木戦の映像も使われていました。とは言っても、プロレスの試合が中心では無く、どちらかといえばアンドレ・ザ・ジャイアントの生涯と人間ドラマを描いた番組です。その中で一試合だけ詳細にとりあげられているプロレスの試合がありました。その試合は1985年のレッスルマニア3の「ハルク・ホーガンvs.アンドレ・ザ・ジャイアント」です。関係者の証言を元に構成されており、このパートからは、リアルとファンタジーを行き来するプロレスの奥深さを垣間見ることが出来ます。

 番組では対戦する二人のレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントハルク・ホーガン、そしてプロモーターのビンス・マクマホンJrの三者の心理描写がインタビューを通して興味深く描かれています。先日、全編を視聴する機会がありましたので、私の理解できる範囲で簡単に紹介してみようと思います。ただし、和訳字幕の入らない映像で、あまり得意では無い英語での視聴だったので、自分勝手に間違った解釈をしているかもしれません。それでも8割ぐらいは正解だと思います。

■オープニングのワンカット
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

----以下は、HBO Documentary
    ”Andre the Giant" より要約して抜粋----

 1985年、ケーブルテレビを活用して全米のプロレスマーケットを制圧しようとしていたビンス・マクマホンJrは、その戦略としてWWFのビッグイベント「レッスルマニア」を開催していた。そして1987年の第3回大会「レッスルマニア3」において、ハルク・ホーガンvs.アンドレ・ザ・ジャイアントのビッグカードの実現を企画した。

■「レッスルマニア3」でWWFヘビー級タイトルマッチ
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

 この時まで、ホーガンとアンドレは全米の各地で試合をしていたが、二人ともベビーフェースであり、時には無敵のタッグチームとしてリングに立っていた。そんな二人でもビンスの興行の方針にしたがって、アンドレはヒールに転向し、ホーガンと仲間割れを演じたることになった。そしてテレビ番組「パイパーズ・ピット」のカメラの前に、ボビー・ヒーナンを帯同して現れたアンドレは、「レッスルマニア3」においてホーガンの保持するWWFヘビー級タイトルに挑戦することを宣言した。そしてアンドレはホーガンにつかみかかり、トレードマークの黄色のタンクトップを引き裂いてみせた。

■テレビ番組「Piper's Pit」より
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

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(ホーガンの証言)

 I can't think who is a better partner, a better person that'll stand toe to toe and fight with me all the way than the big boss Andre the Giant・・・・

 アンドレ・ザ・ジャイアント以上に、俺の最良のパートナーであり、俺と正面から正々堂々と戦ってくれる素晴らしいレスラーはいなかった。だからこそ、俺はジャイアントとの決別のシーンを絶対的に感動的な事件として演出しようとしたんだ。

 余談になるが、アンドレが俺のシャツを破る瞬間に、涙を流すことも考えて、指にはサロメチールをタップリと塗っておいたりもした。その指で目をこすれば必ず涙が出るからだ。ところが、シャツを破る瞬間にアンドレが俺の体を前後に大きく揺すったので、うまく目をこすることが出来なかった。実際にはそれが腹立たしかったんだ(笑)

 そんなこともあったが、このやりとりでアンドレは最強のヒールとなることに成功した。そしてプロレスファンは、俺がこの邪悪な巨人を倒すことを望んだ。この瞬間にファンの全員がハルク・ホーガンの味方になったのだ。

■ホーガンの証言
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

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(解説)

 一方、この頃アンドレは体調に重大な問題を抱えていた。既に腰の手術を受けており、試合以外では杖を使って歩くような状態だったのである。関係者は皆、「このような状態で『レッスルマニア3』のメイン・イベントが成立するのか?」と不安だった。この二人は、どう闘うつもりなのか。アンドレが体調のことについて何も言わないことも、一方のホーガンには重荷になっていた。ホーガンはアンドレの腰と背中の状態を十分にわかっていたからだ。

■アンドレはこの頃から体調に不安があった
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

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(ビンス・マクマホン・ジュニアの証言)

 Hogan was really concerned that Andre wasn't gonna, quote, "Put him over."・・・・

 ホーガンは、アンドレが「勝ち」を譲らないのかもしれないと思っていた。だから何度も私の所にやってきて、「俺をチャンピオンから降ろして、アンドレを新チャンピオンにするのか?」と聞いてきた。私は、「心配するな、アンドレはちゃんとやってくれる」と答えただけで、詳しくは話さなかった。
(まだまだ考える余地があったので?・・・英語力不足によりこの部分真意をよく理解できず)

 実際、アンドレは「俺は俺のやりたいようにやる」としか言わなかった。ホーガン自身はアンドレのことをとても尊敬していたので、アンドレがどうしたいと考えているのか、直接アンドレに確認することも出来ないでいた。

■ビンス・マクマホン・ジュニアの証言
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ホーガンの証言)

 俺はビンスに「どのように試合を展開させるべきか」と、事あるごとに尋ねたが、いつも彼は「心配するな」としか言わなかった。そして対戦前夜のデトロイトのホテルでは、逆にビンスの方から私に「どんな試合を考えている?」と聞いてきた。そこでビンスの手元のノートを受け取り、俺の考える試合展開を書いて見せたんだ。

 「リングの中央に歩み寄ってにらみ合う、首を振る。アンドレが先にパンチを放ち、私がそれをブロックしする。そして逆に私が、一発・二発とパンチを入れ、ボディスラムに行く。しかし支えきれずアンドレの下敷きになる。カウント・ツーで危うくピンフォールされかかるが、はねのける。今度はアンドレがボディースラム、そして私を踏みつけて・・・・・」と試合の流れの全てを書き、勝敗を決めるフィニッシュだけは書かずにおいた。俺はビンスとアンドレの考えに任せることにしたんだ。

 そしてビンスはそのノートを持って、アンドレの部屋に向かった。

■ホーガンが書いたメモ
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ビンス・マクマホン・ジュニアの証言)

 アンドレは人をからかったり、好き勝手に振る舞うことを楽しむタイプだった。私はアンドレに敬意を持っていたし、アンドレの考えや行動を許容していた。ホーガンはそんなアンドレの考えを掴みきれず、当日までどういう試合になるのか、自分はどのように試合を展開させるべきか心配していたんだ。

(ホーガンの証言)

 「レッスルマニア3」の試合当日、俺は早めに会場入りしてビンスと話した。「アンドレとの話はどうなった?」と聞いたんだ。しかし、ビンスは「大丈夫だ、アンドレはちゃんとやってくれるよ」としか言ってくれなかった。 ビンスは最後まで「君の勝ちだ」とは言ってくれなかった。おそらくビンスもフィニッシュをアンドレに任せていて、結末を決めかねていたのだろう。

 普段、俺はドレッシングルームでもアンドレとは一緒に過ごさないようにしていたが、この日はアンドレのほうから俺を自分の横に呼び寄せた。俺は遂にこの場で、アンドレに直接「どんな展開にしますか?」と聞くことにした。しかし、ここでもアンドレは「心配するな」としか答えなかった。それに対して俺も「わかったよ」としか言うことができなかったんだ。

■ホーガンはアンドレの体のことを心配していた
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ホーガンの証言)

 試合のゴング鳴った。俺たちはリングの中央で睨み合った。そしてアンドレの方からパンチを放ってきた。私はそれをブロックして一発・二発と反撃した。そしてボディスラムで投げるためにアンドレの下に潜り込んで持ち上げたが、その瞬間、虫けらのように押しつぶされてしまった。カウント2で返し、今度はアンドレが俺をボディスラムで投げつけ、俺を踏みつけてきた。この展開はまさに俺が書いたシナリオ通りだった。

■アンドレつぶされ、逆にボディスラムをくらった
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

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(解説)

 試合全体はアンドレの体調を考慮して構築されていった。試合はとてもベーシックな展開となった。この試合では、アンドレが4分間以上にわたるベアハッグでホーガンを締め上げたシーンが印象に残っている。アンドレは動けなかったのだ。彼の腰は本当に悪かった、おそらく彼はリングに上がることのできる体調ではなかったのだ。

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■4分間のベアハッグの攻防
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(ホーガンの証言)

 通常ベアハッグは、相手を空中に抱えて締め上げる技だ。しかし、アンドレはそれができなかった。俺は彼の腰に負担がかからないように、できるだけまっすぐに立ち、ベアハッグを苦悶の表情で受け続けた。

■ホーガンはギリギリまで耐えて見せた
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ホーガンの証言)

 そしてアンドレのベアハッグを十分に耐えたあと、限界のところでパンプアップして逆転し、アックス・ボンバーをたたき込んだ。するとどこからともなく「スラム!」という声が聞こえてきた。なんと、アンドレが「俺をボディースラムで投げろ」と言ったのだ。

■アンドレをボディスラムで投げたくはなかったが・・・・
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ホーガンの証言)

 俺はその通り、ボディスラムで投げつけた。すると今度はアンドレが「レッグ・ドロップ!」と言ってきた。俺は、言われた通りレッグ・ドロップで足を打ち付け、フォールの体勢に入った 。当然アンドレがキックアウトしてくるものだと思っていた。

■レッグ・ドロップを落とした
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ホーガンの証言)

 しかし、試合はそこで終了してしまった。アンドレは、ビンスのWWFのビジネスを成功させるために、自分が何をすべきか、しっかりと解っていたのだ。

■試合終了直後の二人
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(ビンス・マクマホン・ジュニアの証言)

 アンドレの体は衰弱しており、かつてのようなパフォーマンスを発揮することが出来なくなっていた。アンドレ自身、自分が思うように動けなくなっていることを十分にわかっていた。しかし、それを受け入れることは、老いたレスラーの誰もが苦しむことだった。このあとWWFのプロレスは、アンドレ抜きでストーリーを進めることになった。アンドレは、自分ではまだやれるという気持ちも持っていたため、多かれ少なかれ私を責めたかっただろうし、少しは憤慨もしていたのだろうと思う。 それでも私は、新しいストーリーを進めるしかなかった。

試合全編はYouTubeで見ることができます

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(解説)

 アンドレは徐々に試合から遠ざかっていった。時折ゲストとして試合会場に招かれることもあったが、彼はそれを好まなかった。この現実は彼にとっては耐え難いことだったかもしれないが、誰にでも訪れる時間だったのだ。そして、1991年、アンドレは最後にリング上で叫んだ。

■リングが俺の居場所なんだ! いつまでも・・・
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 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

(Andre)

”I'm going to be here for a long, long, long time.”

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 85分の番組の内、約20分を占めるシーンを要約して書き出したので、正確には伝えきれませんが、関係者の心の動きをそれぞれの証言から詳細に感じることが出来ます。この他にもアンドレの娘さんや数多くの証言で全体が構成されたドキュメンタリーです。しっかりと理解するために、どこかに日本語版がないものかと思います(それより、もっと英語力を付けなさいということか・・・)。「人間山脈」「一人民族大移動」アンドレ・ザ・ジャイアントが亡くなって、もう30年。昭和プロレスファンにとっては忘れることが出来ない、最強レスラーです。

■HBO Documentary ”Andre the Giant"
HBO_Andre
 HBO Documentary ”Andre the Giant" より

 愛知県体育館でアントニオ猪木アンドレ・ザ・ジャイアントからギブアップを奪ったのは、前年の1986年6月17日の出来事でした。

■1986.6.17 愛知県体育館
1986_6
週刊プロレスより

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