10月5日付けロサンゼルスタイムズ 17面
日本のプロレスラーのアントニオ猪木は、1976 年 6 月、東京で「ボクサー対レスラー」の試合を実現した。1976年に当時ボクシング世界チャンピオンだったモハメド・アリと対戦し、エンターテインメント・スポーツとしての総合格闘技の先駆者となった。試合は猪木がモハメド アリの足を蹴ることに終始する展開となったことから、この試合は日本以外の国では真剣勝負として捉えられることはなかった。
そのプロレスラー、そして政治家でもある。アントニオ猪木が79歳で亡くなった。彼が創業者である新日本プロレスによると、アミロイドーシスと呼ばれる希少疾患と闘っていたが、10月1日(土)に死亡したという。
黎明期の総合格闘技
プロレスラーとして名をはせたアントニオ猪木は柔道、空手、ボクシングなどの他のスポーツのトップ選手、チャンピオンと闘い、総合格闘技の試合も開拓している。 彼は 1976 年に東京の日本武道館でモハメド・アリと総合格闘技の試合で対戦し、世界的な名声を得ることになった。
しかし、この闘いにおいて猪木はほとんど時間、マット上で仰向けに寝転がりながらアリの足を蹴り、ボクシングのチャンピオンであるアリは、猪木を威嚇するように彼を周回し続ける試合だった。このような試合内容であったことから一般的には、「真剣勝負では無く、プロ意識に欠けた試合だ」と受け止められていた。
晩年の猪木は闘病生活を送っていたが、闘病中も彼の信念である「元気」の精神を忘れなかった。猪木が最後に公の場に姿を現したのは8月のテレビ番組、トレードマークの赤いマフラーを身につけ、車椅子姿だった。番組で猪木は 「ご覧のとおり、体調も限界まで追い込まれているが、(観客の)みなさんに会えるたびに力をもらっています」と語った。
本名:猪木寛至は1943年、横浜で生まれた。13歳のときに家族と共にブラジルに移住し、コーヒー農園で働くことになった。 猪木は学生時代に砲丸投げの選手として地元ブラジルで有名になり、当時ブラジル遠征をしていた日本のプロレスの父と呼ばれたプロレスラー「力道山」の目にとまることになった。そして、猪木は1960年に17歳でプロレスラーとしてデビューし、2年後に「アントニオ猪木」のリングネームを名のることになった。アントニオ猪木は、彼の最大のライバルだった日本のレジェンドレスラー、ショウヘイ・ジャイアント馬場とともに、日本のプロレスを隆盛に導いた。
猪木は1972年に新日本プロレスリング株式会社を設立。1989 年には「スポーツ平和党」の党首となり日本の参議院で議席を獲得して政界入りを果たした。翌1990 年には、イラクを訪問し、当時現地の人質にされていた日本人を釈放するという偉業を達成している。猪木氏はスポーツを通じて平和を推進する活動に取り組み、北朝鮮でのプロレスの試合も実現した。
猪木氏は国会議員時代、北朝鮮との平和と友情を築くことを願って、北朝鮮を30回以上も訪問している。過去に北朝鮮が日本人を拉致した問題を解決するために、長年にわたる個人的なつながりから北朝鮮を繰り返し訪れていたのだった。猪木氏は1998年にレスラーを引退したが、政界での活躍は2019年まで続けた。
猪木氏の訃報に際してSNSでは、彼への多くの賛辞の言葉がが投稿されている。かつて猪木氏と同様にプロレスラーとして国会議員を務めた大仁田厚氏は「巨大なスターが墜ちた。ひとつの時代が終わった」とツイートしている。
10月5日付けロサンゼルスタイムズ紙
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我が師、井上編集長の命日です。 pic.twitter.com/fiHqtuDz2O
— ターザン山本! (@tarzany) December 12, 2022
意味がわかりにくい部分は意訳をしています。英語が得意な方では無いので、訳が間違っていたらごめんなさい。それでも8割方は正解だと思います。
【#アントニオ猪木 が登場ダーッ】
— カクトウログ📶プロレス/格闘技 (@kakutolog) December 12, 2022
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