1979年8月26日、日本武道館で「プロレス夢のオールスター戦」が開催されました。今でこそ団体間交流戦の垣根が低く、対抗戦や交流戦が珍しくも無いのですが、この当時にはまさに「夢」だったようです。最大の注目は「馬場と猪木が対戦するのか?」だったのですが、所詮それは無理な話でした。とにかく実現させて馬場との違いを見せたい猪木。一方の馬場は、双方が傷つかない結末が約束されたとしても、試合中に何か仕掛けてくるかも知れない猪木を今ひとつ信用できなかったのでしょう。BIコンビの再結成が「夢のオールスター戦」実現のための落としどころでした。
■夢のオールスター戦ポスター
今回は1996年から97年にかけてFIGHTING TV SAMURAI!で放送された「闘いのワンダーランド」の中で、I編集長が語ったトークの一部をご紹介します。
1997.03.14放送「I編集長の喫茶店トーク」(後半部分から抜粋)
■I編集長の喫茶店トーク
サムライTV「闘いのワンダーランド」画面キャプチャ
(I編集長) そして最後に試合以外の重要なポイントがありまました。メインエベントが終わった時に猪木・馬場の手が上がりますわね。その時に猪木が「馬場さん、今度二人がリングに上がるときは闘うときです」と言いました。有名なセリフですね。それで馬場が「よし、やろう」と。これが最大のハイライト・シーンなんだけれども、結局は実現されませんよね。
■BI対決を迫る猪木
放送画面キャプチャ(日本テレビ)
(I編集長) 猪木がなぜあんなことを言ったのかというのは、ヤッパリ意味があったんです。これね、当時のファンは、単なるお祭りで東スポさんの20周年記念事業だと、だから「ふんわか」とした「夢の祭典」だと思っていた方が多いと思うんです。だからBI対決ではなくて、タッグの復活だったと思っておられたかも知れないですけど、そうではないんですよ、これは。
■フィニッシュシーン
恒文社PROWRESTLING ALBUMより
(I編集長) マッチメークでは揉めに揉めたんですよね、これ。大会に向けて東京プリンスホテルで猪木と馬場と吉原さんとが三者会談を行いました。2ヶ月前の6月ですよ。その時には当然、どんなカードを提供するのか話し合われますね。主催者として東スポさんもその席にいるわけです。その4者で話をするんだけども、東スポさんが提案したマッチメークというのは、猪木vs.馬場。「猪木さんと馬場さんで一騎打ちでやってください」というカードですね。実はこれは猪木側の意向でもあったんです。東スポさんとしては主催者の立場から、このカードがファンの要望でもある、このカードでないと20周年の記念事業は成り立たないと、二人の対戦を「ガーッ」と押してきたわけですよ。
■BIの連携も復活
恒文社PROWRESTLING ALBUMより
(I編集長) しかし馬場さんは、にべもなく断ってしまうんですよ。馬場さんとしては「そういうことなら出場できない」と。このやりとりで揉めて揉めて、結局、どうしても「一騎打ちはできない」となってしまったんです。話し合いは延々深夜まで続いたんです。結局ね、馬場サイドとしては、猪木vs.馬場の一騎打ちの確約は出来ないけども、「その方向で努力する」と言うところが落としどころとなって、大会カードは猪木・馬場がタッグで出場すると決まったんです。そして一騎打ちについては、「その方向で猪木と馬場が話し合いを続ける」となった訳です。
■BI対決は先送り
恒文社PROWRESTLING ALBUMより
(I編集長) 8・26の大会本番の日、リング上でPWFのロード・ブレアース会長、それから新日のプロレスリングコミッショナーの二階堂進さんが、このことをハッキリ言ってしまったんです。「馬場と猪木が一騎打ちをする、その方向で努力しようということになりました」と。さらにその時ロード・ブレアースが「NWAもこの話を了承している」と「ポーン」と言ったわけですよ。これが大問題になったんですね。NWAが了承しているということは、「やってよろしい」ということですからね。我々マスコミにしたって、その時に「エーッ?」てなったんです。
■ロード・ブレアース、二階堂進氏
恒文社PROWRESTLING ALBUMより
(I編集長) だから試合終了時にもそのままの勢いで、猪木がマイクアピールをしたんですね。そして試合後には猪木が「馬場さんとの一騎打ちは、早ければ今年の秋、10月ぐらいまでに、遅くとも年末には実現するだろう」と言い切ったんです。猪木はもう実現するもんだということを前提で話をしていたんですね。ところが馬場は「そう簡単に出来る話ではない。努力するとは言ったけども、やるとは誰も言っていない」というスタンスでしたね。その時馬場さんが何回も口にしたのが、「新日本プロレスと全日本プロレスの間にはクリアすべきことがいくつかある」という言葉です。馬場さんは「クリアすべきことがある」と何回も言ってるんですね。
■年内に実現?
週刊ファイトより
(I編集長) だから私にすれば、確かに“夢の”オールスター戦というところはあったけども、それは上っ面だけのことでね、「パッ」と思い出すのは、もうそういったギリギリの交渉のことしか頭に浮かばないですよ。「やる、やらん」と言いながら「ガンガン、ガンガン」駆け引きをしてね。猪木は「馬場さんは約束したのに守ってくれない」とかね、「どうなってんだ」とか、馬場さんとしては「そういうことをオレがいつ約束した?」となるしね。「努力しようということは言ったけども、やるとは言っていないじゃないか。話し合ってクリアすべきことが解決されて、そしてやろうと言うことになったら、オレは受ける、そう言ってるじゃないか」と、これが馬場さんの言い分ですよ。そういった当時はファンに知られることのないやりとり、プロレスマスコミも全部を活字にできないやりとりをギリギリのところでやっていたんですよ。
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「夢のオールスター戦」の試合は、テレビ朝日(当時のNET)のワールドプロレスリングの放送の中でダイジェストで流されました。馬場&猪木vs.ブッチャー&シンのテレビ朝日のテロップは、アントニオ猪木が上、ジャイアント馬場が下でした。この並びは相当な猪木ファンであっても、やや違和感を覚えるのでは無いでしょうか。しかし猪木がエースの新日本プロレスを放送するテレビ朝日では当然こうなるのもわかります。大会ではBIの入場順は、先に入ってきたのがアントニオ猪木でした。猪木としても兄貴分の馬場に相当気を使っていたようです。と言うよりもこれは馬場さんの没後も永遠に続いている二人の関係なのだ思います。ちなみにI編集長は、トーク中、BIタッグの事を「猪木と馬場のタッグ」と必ず猪木の名前を先に言っています。
■BI対決を迫る猪木
放送画面キャプチャ(NET)
今回の記事には、当時、テレビ朝日と日本テレビで放送された「夢のオールスター戦」のダイジェストから、いくつか放送画面を引用しました。当時の両局の紳士協定により放送できる時間の長さが制約されており、結局、未だに試合の一部の映像しか見ることができません。この「プロレス夢のオールスター戦」の全試合を収録したビデオを新間寿氏が所有しているということです。一度、2016年にその上映会の開催が発表されましたが、各所からの圧力があったのでしょうか、ビデオの上映は実現しなかったようです。もう新日プロも全日プロも、猪木・馬場の時代とはほぼ違う会社になっているのだし、団体とテレビ局との関係もかつてほど深い利害関係があるとも思えません。それでも何十年も守り続けられる「紳士協定」って、いったい何なんでしょう。そろそろ解禁されてもいいんじゃないでしょうか。ここは、新間さんの「この封印されたビデオを世に出したい」という熱意と頑張りに期待します。「めざせ、DVD化」です。
■ビデオ上映会「決定!!」
イベントポスター
全文は下記のサイトに掲載されていますので、是非ご覧ください。
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思い出す夢のオールスター戦「昭和の8・26」「平成の8・27」の記憶 令和で実現は?(ENCOUNT) https://t.co/7DcqQ6SCTp
— プロレス スクエア -プロレス最新ニュース速報- (@pwsquare2019) August 28, 2022
とにかくゴング誌は写真が素晴らしい。カメラマンはプロ中のプロ。レイアウトもね。完璧だ。 pic.twitter.com/AVi9X6bLXQ
— ターザン山本! (@tarzany) August 26, 2022