東京スポーツにアントニオ猪木のレアな「田子作スタイル」の写真と記事が掲載されました。
記事によるとアメリカ武者修行中の猪木は1965年秋にテネシー州へ転戦。テネシー州入りして二日目の試合(12月2日)でボーイ・バンビ-と対戦し、この試合をアントニオ猪木としては非常にレアな「田子作スタイル」で闘ったという記事です。
猪木がテネシー州に転戦して二試合目の日付、12月2日が気になって、猪木vs.ボーイ・バンビ-の対戦について調べて見ました。
アントニオ猪木の全戦績を記録した書籍は、これまでに3社から発売されています。そのうちの2冊、「アントニオ猪木全試合パーフェクトデータブック(瑞佐富郎著)」と「アントニオ猪木デビュー50周年記念DVD-BOX 戦績完全データ集」には、ボーイ・バンビ-と言う選手の名前はありませんでした。
■アントニオ猪木全試合パーフェクトデータブック
(瑞佐富郎著)
■アントニオ猪木デビュー50周年記念DVD-BOX
戦績完全データ集
対戦相手、試合時間、結果がきわめて類似している試合として、1965年11月27日、メンフィス・エリス・オーデトリアムでのボブ・ハンビーとの試合結果が記されています。このデータから、 ボーイ・バンビ- = ボブ・ハンビー だろうと推測されます。しかし、東スポの記事とは日時と場所が異なります。
一方、「アントニオ猪木 THE COMPLETE RECORD(フルスイングマガジン)」には、その11月27日の試合の記載がありません。 この戦績集には、過去の雑誌や新聞、プロレス関連書籍に記録があっても、実際には試合が行われていないことが確認された場合は、掲載されていないようです。 したがって、11月27日の試合記録自体も事実なのか疑ってみる必要があります。昔の読み物的な本や、記事には、試合記録の創作もあったと思われるからです。
■アントニオ猪木 THE COMPLETE RECORD
(フルスイングマガジン)
東スポの記事を見たミック博士氏のツイッターでは、 ボーイ・バンビ- = ロバート・ハンビー とつぶやかれています。1977年11月に国際プロレスのダイナマイト・シリーズに来日している選手です。
さすがは東スポ!猪木の相手は国際プロレスに来たロバート・ハンビー!(;'∀')https://t.co/k7vC9a152v
— ミック博士@3.18昭和プロレス復活祭・ロフトプラスワンウエスト (@mickhakase) March 2, 2023
■ロバート・ハンビー
国際プロレス1977年ダイナマイトSパンフレットより
■ロバート・ハンビーの紹介文
国際プロレス1977年ダイナマイトSパンフレットより
■次の謎は日時です。東京スポーツの今回の記事によれば、ボーイ・バンビ-との対戦は、1965年12月2日、各種戦績本によれば、11月27日にきわめて類似した試合記録があることがわかりました。しかし、テネシー入り第2戦は、11月9日のガス・カラス戦という記録が3社の戦績集で共通しています。
■次は試合会場の謎です。東京スポーツの今回の記事によれば、ボーイ・バンビ-との対戦は、1965年12月2日、テネシー州メンフィス ミュンシュパル・オーデトリアムの試合となってます。11月27日の試合なら、テネシー州・メンフィス・エリス・オーデトリアム。しかし、猪木がテネシー州に転戦しての2試合目は、11月9日、ナッシュビル・フェアグランド・コロシアムです。
■テネシー州・メンフィス・エリス・オーデトリアム
東スポの記事にあるミュンシパル・オーデトリアムという会場は、アメリカ各地にあるようです。
・ジョージア州
コロンバス・ミュンシパル・オーデトリアム
・ジョージア州
アトランタ・ミュンシパル・オーデトリアム
・テキサス州
サンアントニオ・ミュンシパル・オーデトリアム
・カンザス州
カンサスシティ・ミュンシパル・オーデトリアム
・カリフォルニア州
ロングビーチ・ミュンシパル・オーデトリアム
・フロリダ州
オーランド・ミュンシパル・アリーナ
残念ながらテネシー州メンフィスでは、検索がヒットしませんでしたが、これだけ各地にあるのだから、テネシー州にも存在するのかも知れません。
調べれば調べるほどわからなくなります。どの記録も、日時・会場・対戦相手について正しい部分もあれば、曖昧な部分もあるようです。アントニオ猪木が「田子作スタイル」で闘ったのは、結局、いつ?どこで?誰と?
今回参照した記録を総合的に考えると
テネシー入り2戦目というコメントを尊重して、
東スポの猪木の田子作スタイルの写真の試合は、
・テネシー州転戦の二日目、1965年11月9日
・会場は、ナッシュビル・フェアグランド・コロシアム
・対戦相手は、ガス・カラス
となるのかなぁ・・・と。
猪木が田子作タイツをはいた理由は、テネシーに転戦した時に荷物の到着が遅れて、緊急避難的にトージョー・ヤマモトからタイツを借用したということですから、初日の11月8日にも田子作タイツを使用したはずです。そのように考えると、数試合は田子作スタイルでリングに上がったのだろうと思われます。
■田子作スタイルのアントニオ猪木
東京スポーツより
アントニオ猪木のアメリカ修業時代の記録は基本的に猪木本人の一人旅なので謎が多いのはしかたありません。
そして、そもそもプロレスにおける公式記録とは何か?という疑問に立ち返ってしまいます。たとえ読み物として書かれているとしても櫻井康雄さんが書けば、ひとつの公式記録なのかも知れません。
「それぞれの人がそのプロレスの試合・背景を含めて深く考えたこと、それがプロレスにおける真実なんですよ(ドンッ!)」
■I編集長
闘いのワンダーランド#31より(この回のトークでの発言です)
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国枝慎吾さん国民栄誉賞の授与おめでとうございます🎊。ところで、アントニオ猪木さんの国民栄誉賞受賞はいつになるのでしょうか?。ずっと待っているのですが😣。#国民栄誉賞 pic.twitter.com/bnIyzU6v4J
— ジューシーフルーツ😃 (@yzbpgBOPet9GszM) March 3, 2023
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