「週刊ファイト」より
42年前の週刊ファイトの記事で「シンとI編集長の“12.4 焼き肉和解”の夜」を検証。
さらに喫茶店トークは、シンがベンガル虎に噛みつかれたエピソードの続編。タイガー・ジェット・シンのプロレスラーとしてのルーツが明らかに!
後半のトークは、猪木vs.小林の再戦。猪木との初戦に敗退して海外で出直したストロング小林は、リベンジマッチで闘いのテーマをクリアできたのか?
■闘いのワンダーランド #012(1996.12.17放送)
「I編集長の喫茶店トーク」
1975.03.13 広島県立体育館
NWF世界ヘビー級選手権王座決定戦
アントニオ猪木 vs. タイガー・ジェット・シン
この試合はNWF本部が、選手権試合の挑戦者としてタイガー・ジェット・シンを指名したことに対して、新日本プロレスサイドと見解の相違があったことから、猪木が不服としてNWFタイトルを返上。あらためて王座決定戦として決行された試合です。試合はシンがそれまで見せたこの無かった大技“ブレーンバスター”を繰り出し、最後はナックルパンチで猪木を倒して3カウントのフォールを奪いました。シンがNWF王座を戴冠した記念すべき試合です。この「喫茶店トーク」はこちら。
■「シンとI編集長の“12.4 焼き肉和解”の夜」
「週刊ファイト」(1979年12月18日号)より
(中略)
(I編集長) 先日の喫茶店トークのコーナーでお話した、シンがベンガル虎に噛まれた話はちょっと訂正がありましてね。確かこの前の放送で「右腕を噛まれた」と言うようなことを申し上げたと思うんですけど、後で調べてみたら、左肘なんですよ。肘のところね。当時の週刊ファイトなんかをひっくり返してみますと、ベンガル虎の牙で引っかけられたという、そういった記事がありますよ。これね、詳しい話をさせていただきますと、シンは8歳の時にインドに住んでまして、父親と一緒にハンティングに出かけたんですよね。その時にベンガル虎に襲われてるんです。「ガーッ」とやられたんですね。シンの話だと半年ほど高熱を出して生死の境をさまよったと言いますよ。
「週刊ファイト」(1978年)より
(I編集長) そうか、そう言う由来で「タイガー」というリングネームをつけたのかと思って、シンに「虎に噛まれたから、虎と闘った傷跡があるから、だからそういった名前を付けたのか?」と聞いたら、「そうじゃない」と。プロレス的には本当はその方が面白いんだけどね、ベンガル虎と闘ったことがあるから、「タイガー」とリングネームを付けたんだ、伊達や酔狂で付けたんじゃ無い、そういう話の方がいいんですけども、本当は。
「週刊ファイト」(1983年3月8日号)より
(I編集長) 実はシンが16歳の時、最初にインドでプロレスの修行した時の師匠が、「タイガー・ジョギンダー・シン」なんですよね、これ。タイガー・ジョギンダーというのは、力道山時代に日本に来たインドの名・・・?、名レスラーでしょうね。この人の元に弟子入りしてプロレスのイロハから教えてもらったと言うことなんです。
■タイガー・ジョギンダー・シン
Wikiwand:https://www.wikiwand.com/en/Tiger_Joginder_Singh
(I編集長) 「タイガー」の名前の由来がベンガル虎の一件では無いのなら、師匠のリングネームのタイガー・ジョギンダーからもらって「タイガー」と付けたんだろう。もう一人の師匠であるフレッド・アトキンスよりもタイガー・ジョギンダーの方を師匠格として上に置いて、だからリングネームをもらったんだろう、と言う風にも僕は考えましたよ。 これもシンに聞いてみますと、これまた違うと言うんですよね。結局「インドのレスラーはみんな“タイガー”と付けるんだ」ということなんですね。インドで強さの象徴と言えば“ベンガル虎”なんですね。だから「インドのレスラーはみんな“タイガー”なんだ。そう付けるものなんだ」と言ってましたね。なんだ、そういうことか、と・・・。 ベンガル虎に噛みつかれたからでも無く、師匠の名前をもらったのでも無かった。ちょっと肩すかしだったけれども、それでもそこら辺の話、いろいろ「タイガー」に因縁があるっていうのが、僕は非常に面白いなと思った記憶がありますね。
全部でA4で15ページぐらいの記事になっています。「シンとI編集長の“12.4 焼き肉和解”の夜」「猪木vs.小林、再戦のテーマとは」など、まだまだ内容は盛りだくさんです。「ファイトクラブ公開中」のサイトでご覧いただけます。サイトでも無料版は途中までしか読めないかも知れません。ファイトクラブ会員になると、その他の記事も沢山閲覧できますよ。是非ご登録を。
久しぶりのHP更新です。最近、「週刊ファイト – 武道・プロレス・格闘技の”見る本”電子書籍」というサイトに、当サイトの「I編集長の喫茶店トーク」のコーナーをリメイクした記事を掲載してもらっています。
これまでは、当サイトの「I編集長の喫茶店トーク」のページでは、井上節をとことん忠実に再現した書き起こしで掲載していました。ひたすら文字だけの完全にマニア向けのページで、読むのも一苦労なのは承知の上で、個人的な趣味・記録という意味で掲載していたものです。
これをメジャーなサイトに掲載して広く読んでいただくために、関連の写真などを随所に入れ込んで、見やすく面白い記事にリメイクしてみました。Y・I節も文字だけではわかりにくいところは積極的に補足しています。よろしければ電子版「週刊ファイト」のページをご覧ください。
■[ファイトクラブ] “クレイジー” シン I編集長が語るエピソード続編
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40周年。
— コブラ@昭和プロレステーマ曲研究家 (@kokontezangetsu) September 22, 2021
初っ端からコレですから。
タダじゃ終わらないムード。 pic.twitter.com/zMLbhsC6Zj
今日は、伝説の9.23田コロ決戦から40周年ということで、NJPWワールドでスタン・ハンセンvsアンドレ・ザ・ジャイアントを観る。何度観ても、何年経っても決して色褪せない超ど迫力の名勝負。名場面に次ぐ名場面。熱狂する観客、「世界で5人目!世界で5人目!」と叫ぶ古舘伊知郎。全てが素晴らしい。 pic.twitter.com/0en1TEz9rV
— 堀江ガンツ (@horie_gantz) September 23, 2021