「週刊ファイト!ミルホンネット」というWebサイトに、当ページの「I編集長の喫茶店トーク」のコーナーをリメイクした記事を掲載してもらっています。今回は、闘いのワンダーランド #023(1997.1.4放送)から、「パワーズが来日早々、猪木に「イチャモン」をつけた!」です。リンクのサイトでは無料でも冒頭部分が閲覧できるようになっています。
■闘いのワンダーランド #023(1997.1.4放送)
「I編集長の喫茶店トーク」
1976.02.05 札幌中島体育センター
アントニオ猪木vs.インフエルノス2号
1976.03.18 蔵前国技館
アントニオ猪木vs.ジョニー・パワーズ
■アントニオ猪木vs.ジョニー・パワーズ
新日本プロレスパンフレットより
(I編集長) 今日の試合は、昭和51年3月18日の猪木vs.パワーズのNWFヘビー級戦ですね。この試合については、ちょっと面白い話がありますので、そのお話しておきましょうか。というのは、パワーズが来日予定日の一週間も前にいきなり殴り込んで来たんですよ、これ。パワーズの参戦はシリーズの後半だったんですね。そして最終戦の3月18日、蔵前国技館のビッグマッチになだれ込むという段取りになっておったんです。ところが予定の一週間前にパワーズがいきなりやって来ることになったんですね。そして「2月27日の後楽園大会から出場させろ!」とねじ込んできた訳ですよ。
(I編集長) あんまり仕事熱心ではないパワーズがですね、どうして一週間も前に乗り込んできたのかと、これが今日の話のポイントであります。
■タイガー・ジェット・シン
新日本プロレスパンフレットより
(I編集長) この年2月6日の大会でタイガー・ジェット・シンを猪木のNWFタイトルに挑戦させろと、これはNWF本部の指示だとして、パワーズが伝えてきていた訳ですよ。それで新春のシリーズにシンを送り込んでいた訳ですね。ところが、ご存知のように2月6日は「猪木vs.ルスカ」戦になってしまって、シンは肩すかしをくわされてしまった形になりましたわな。
■アントニオ猪木vs.ウィレム・ルスカ
新日本プロレスパンフレットより
(I編集長) そういうことがあってパワーズは怒ったんですね、これ。パワーズが怒ったんですよ。それで後半参戦予定だったシリーズに早めにやって来て、抗議してきたんですね。
(I編集長) 当時、新日本プロレスがNWAに加盟したんですよ。それで、NWAの方からNWF“世界”ヘビー級という名称はけしからん。NWAに加盟したのだから「世界」の文字を取りなさい、そう言われて「世界」の文字を取ったんですよね。それについてもパワーズが「NWFの本部に相談もせずに勝手にされては困る」と言って談じ込んで来たのが、そもそもの「いちゃもん」の始まりなんですよ。
■“世界”を名乗れるのはNWAだけ
週刊ファイトより
(I編集長) しかし、猪木にしてみたら「知ったことか!」となるんです。といいますのは、パワーズというのは、ずっとNWFのトップレスラーだという触れ込みで来ておったんですけど、どうもNWFの方をおろそかにして、当時旗揚げしましたIWAのほうのトップレスラーをやっているんじゃないかという疑いが出てきていたんですよね。
■知ったことか!
週刊ファイトより
(I編集長) うちの記者が「NWFのタイトルを返上しろとか、なんだぁかんだぁと言ってイチャモンつけておるけども。本当はNWFなんてもう無いんでしょ」と突っ込んだ訳ですよ。ホントのところはこっちでも半信半疑だったんですけどね。そしたら、ああだこうだと理由を付けて、「そういうことで俺(パワーズ)は、ペドロ・マルチネスのIWAで闘わなくちゃいけないことになっている。NWFの方の仕事もオレに代わってマルチネスがいろんな業務やマッチメイクなんかをしてくれている」と、そんな言い訳をしましたよ。しかし、これはどう考えたっておかしな言い訳だったんですよね。だから、「ああ、やっぱりNWFというのは、あんな形で猪木にタイトルを取られてしまったんで、落ち目になって、もう潰れる寸前なんだな」と、私はそう結論付けたんですよ。それはそれでいいんですよ。団体や組織には浮き沈みがあるものですからね。
■パワーズを取材する井上譲二記者
週刊ファイトより
(I編集長) だからそこは、NWFがこうなった、ああなったということはファイト紙には書かずにおくことにしたんですよ。そんなことバラしたってしょうが無いですからね。当時、週刊ファイトは非常に厳しいことを書くということで、団体関係者あたりは、もう私なんかをナメクジのように嫌ってましたよ。まぁ、そりゃそうだったかもしれませんね。それでも、今から比べてみると非常に穏やかな記事だったはずですけどね。今の話でもお分かりのように。抑えるところは抑え、相手を立てるところは立て、そして団体のメンツを損なうようなこと、レスラーの恥になるようなこと、そういったことは知っておりながらでも書かずにおく、そういったところを守りながら記事を書きましたよ。しかし、それでもなお、当時の関係者には言われてましたね。「週刊ファイトは非常にえげつないことを書いている」と。私は猪木にも「こんな好き勝手なことを書いてたら、あんた、心臓が悪くなって当たり前ですよ」なんてことを真顔で言われたこともありますよ。
■クレージーなスポーツ紙
週刊ファイト(1974年8月12日号)
(I編集長) だからこの話、3月18日のNWFヘビー級戦のあの闘いの意味、本当はどういった背景があったのかが分らないままだと、この試合の「闘いのワンダーランド」の意味がどこかに行っちゃうんですよ。私としたら、プロレス週刊紙の役割としてパワーズに突っ込み、真相に迫りましてね、首根っこも押さえたし、色々なことがわかってきた、そして迎えたのが今日放送された3月18日の試合なんです。だからやっぱりそういったことはね、時効になった今だからこそ、語り部としてキッチリと説明していくことが必要でしょうね。
■井上義啓氏
底なし沼 - 井上義啓一周忌追善本より
「週刊ファイト – 武道・プロレス・格闘技の”見る本”電子書籍」
今回も喫茶店トークの一部のみの紹介でした。いろいろ聞いてみると、パワーズがイチャモンを付けたのは間違いないでしょうが、一週間早めに来日したのは、パワーズがもう一週間ぶん稼ぎたいと新日プロと交渉した結果、来日が早まったという話もあります。そんな話もI編集長の超絶過剰深読み活字プロレスにかかれば、ひとつのストーリーが生まれます。そこがI編集長の喫茶トークの魅力です。。
全部でA4で12ページの記事になっています。web版週刊ファイトでは、I編集長のトーク全文を掲載しています。「ファイトクラブ公開中」のサイトにもアップされていますので、ご覧いただけます。
これまでは、当サイトの「I編集長の喫茶店トーク」のページでは、井上節をとことん忠実に再現した書き起こしで掲載していました。ひたすら文字だけの完全にマニア向けのページで、読むのも一苦労なのは承知の上で、個人的な趣味・記録という意味で掲載していたものです。
これをメジャーなサイトに掲載して広く読んでいただくために、関連の写真などを随所に入れ込んで、見やすく面白い記事にリメイクしてみました。Y・I節も文字だけではわかりにくいところは積極的に補足しています。よろしければ電子版「週刊ファイト」のページをご覧ください。
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本日、倍賞美津子さん75歳のお誕生日。
— ふるきっつあんの不条理ツイート。 (@foolkitchen1) November 21, 2021
50年前の今月2日に猪木さんと結婚なさった時にはまだ25歳手前だったんですなあ……。
更なるご健勝をお祈り致しますm( )m pic.twitter.com/eMzsrCZ2EQ
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— SHiN (@SHiN_Dr_KUMA) November 21, 2021
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