10月5日付けニューヨークタイムズ 21面
アントニオ猪木は、総合格闘技の試合でモハメド・アリ戦ったことで広く知られている日本のプロレスラーである。
猪木氏はその知名度により、北朝鮮、イラク、パキスタンなどでも人気があり、外交の場でも影響力があった。その猪木氏が土曜日に東京で亡くなった。79歳だった。
日本のプロレス団体・新日本プロレスの発表によると、死因は非常に希な臓器の病気「アミロイドーシス」だったという。
猪木氏は、戦時中の独裁者を連想させるような長いアゴが特徴的で、赤いマフラーがトレードマークだった。
彼はプロレスラーとして、また政治家として、世界を渡り歩きながら、たった一人での外交を行い、数々の公的な役割も果たしてきた。パキスタンではイスラム教に改宗して試合を行い、現地で絶大な支持を得ている。またファンや有名人に陽気なイメージで平手打ちをするパフォーマンスで人気を集めた。
アントニオ猪木、本名:猪木寛至は1943年2月20日、日本の港町横浜で生まれた。彼は10代の頃、移民として家族でブラジルに渡っている。彼のリングネームが「アントニオ」となった由来である。そしてブラジルに遠征していた日本の有名なプロレスラー“力道山”が寛至少年に出会い、彼のプロレスの師匠となってアントニオ猪木をプロレスラーとしてのキャリアに導いたのである。
アントニオ猪木の名を米国および世界の国々に知らしめたのは、1976年 6月26日、東京で行われた試合、当時のボクシング世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリとのスタント・マッチである。この試合は単なるプロアスリート同士の闘いにとどまらず、ボクシングかプロレスか、二つのジャンルのどちらが強いのかに注目が集まり、テレビ中継(クローズドサーキット)されたニューヨークのシェイスタジアムには3万人以上の観客が集まった。
この試合で猪木は、ゴングが鳴ってすぐにマットに身を投げ出し、倒れた状態でアリの足を蹴り始めた。アリはこのキックを浴び続けて足を痛めながらも、アリ独特のステップをリング上で披露し続けた。しかし、アリのパンチが猪木にヒットしたのは、この試合中たったの2回だった。試合は15ラウンドを通じて異様な試合となり、結局引き分けに終わった。そして消化不良の試合を見せられた観客たちはリングに罵声を浴びる結果となった。
試合の翌年、猪木氏はニューヨーク・タイムズのインタビューに応えている。猪木は「あの試合は、真面目すぎるほど真剣な試合だった。私は勝つために最善を尽くした。決してフェイク・マッチではない。もしフェイクなら、もっと面白い試合を作れたはずだ」と語っている。ニューヨーク・タイムズはアリが亡くなった2016年、この試合を振り返って「アリの最も記憶に残る闘い」と題した回顧記事を掲載した。
ある格闘技専門のコメンテーターの話によると、総合格闘家コナー・マクレガーが、2017年に無敗のボクサーであるフロイド・メイウェザー・ジュニアとの対戦を前して、記者会見において「私はアリと猪木の試合を研究した」と話したという。マクレガーが特に興味を持ったのは6ラウンドの攻防だ。アリと猪木の両者がもつれて倒れ、猪木が上になった瞬間にレフリーが割って入って二人を分けた場面である。「あの状態をあと5秒か10秒放っておけば、猪木は首か腕、足を極めてしまっているだろう。そうなれば、その後の総合格闘技の歴史は大きく変わっていた」とマクレガーは語っている。
アリと猪木の闘いは試合直後こそ不評を買ったが、このことが猪木のキャリアに大きなダメージを与えることは無く、逆にアリと闘った男として海外でも人気を博すことになった。さらに猪木氏はその後も、プロレス以外にタバスコの輸入事業を行ったり、またパチンコのキャラクターに採用されたりと、タレントや実業家としても多方面で存在感を示し続けた。
猪木が海外で最も影響力を発揮したのは、1990年の湾岸戦争直前のイラクでの外交だ。湾岸戦争が勃発する数ヶ月前、イラクのサダム・フセインは、数十人の日本人を人質としてイラン国内にとどまらせていた。この事態に、日本の国会議員に当選したばかりの猪木氏は、捕虜の親族を連れてイラクを訪れ、「スポーツと音楽の平和の祭典」を企画した。その外交努力がサダム・フセインの姿勢を軟化させ、猪木氏は41人の日本人の釈放に成功したのである。
また猪木氏は1995年から2017年まで、北朝鮮を32回訪問するなど、北朝鮮でも有名な日本人だった。この関係は、1995年に猪木氏が北朝鮮の平壌でアメリカ人レスラーのリック・フレアーと闘った「平和の祭典」のイベント開催を機に始まったものだ。日本の世論の一部には「猪木はプロレスの知名度を利用して、スタンドプレーで北朝鮮の高官と交際している」と批判的な見方もあった。しかし猪木氏は、米国がトランプ政権時代だった2017年、ニューヨーク・タイムズのインタビューに応えて「国連やトランプ氏、そして日本は皆が、北朝鮮にはもっと圧力をかける必要があると言っている。しかし、まずは彼らの声に耳を傾け、彼らの行動の背後にある理由を理解する必要がある」と語った。猪木氏はスポーツ交流を通じて平和を確立するために崇高な目標を持って外交に取り組んでいたのだ。
アレックス・トラウブ
10月5日付けニューヨークタイムズ紙
スポーツ面は30ページから
Judgeのホームラン
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— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) December 11, 2022
ニューヨークタイムズの誤認と思われる内容(イスラム教改宗の時間軸やアリのパンチの回数など)もありますが、そのまま翻訳しています。また訳は直訳では無く、意味がわかりにくい部分は意訳をしています。英語が得意な方では無いので、訳が間違っていたらごめんなさい。それでも8割方は正解だと思います。
猫達に花の描き方を教える先生、微笑ましい光景すぎる… pic.twitter.com/DIE78Pul0l
— もふもふ動画 (@tyomateee2) December 10, 2022