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最近何かと話題の「N国」立花孝志氏の名前を聞くと、ノンフィクション作家であり評論家でもある「立花隆」氏を思い出してしまいます。立花隆氏にしてみれば、同じ名前の響きのトンデモな人が話題になっており、いい迷惑なのではないかと思います。
さてプロレスファンとして思い出されるのが、かつての立花隆氏の発言です。大宅壮一ノンフィクション賞の選考で、井田真木子の「プロレス少女伝説~新しい格闘をめざす彼女たちの青春」という作品について、
「題材がプロレスというだけで既に失格。私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様がさまざまあるだろう。しかし、だからといってどうだというのか。世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」
と評しました。
立花隆氏がプロレスに対してどのような世界観を持っているのかは述べられていませんが、察することはできるし間違ってもいないと思います。そしてそのプロレスに対するスタンスも一般常識的なものであり、捉え方もその通りだと思います。
ただしプロレスのような「一般的に価値が無いもの」「役に立たないもの」に熱中する人は、「品性と知性と感性が同時に低レベルにある人である」と断じていることに疑問を感じます。「品性」はともかく、「知性と感性」があるからこそ「価値の無いもの」の魅力を見いだすことができるのでは無いでしょうか。全く価値の無いものに「価値」見いだすことこそ立派な趣味のはずです。
たとえば一般的に価値があると認知されている『札束』を収集するのが趣味の人がいるとすれば、「そんなの最悪な趣味だ」と言われてしまうでしょう。その逆に、川辺に転がる何の意味もなさそうな石ころの造形に芸術性を見いだして収集している人がいるとすれば「知性と感性」に溢れた高尚な趣味の持ち主だと思います。「世の大多数の人にとって、そんなことはどうでもいいことである」と一刀両断にしてしまってはあまりにも悲しいですね。
プロレスも同じでは無いでしょうか?。プロレスのような「どうでもいいこと」に価値を見いだすことのできる「知性と感性」が無ければ、この“底が丸見えの底なし沼”を楽しむことは到底できません。どうでしょう、立花さん。(“知の巨人”立花氏の発言や著書には感銘を受けるコトバが多いので、尊敬してもおります)
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下の欄にも言い足りないことを追記しています。
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「NHKに受信料支払う義務を閣議決定、スクランブル放送には否定的見解」という本日のニュース。立花孝志氏が反NHKで活動すればするほど、NHKに受信料を払いたくない人にとっては迷惑千万なことでは無いでしょうか。もしかしたら、これこそNHKが仕掛けた壮大な「アングル」なのか?と思う昭和プロレスファンなのでした。
ちなみに当サイト管理人は、NHKとCSしか見ないので受信料をちゃんと支払っています。
「マツコ・デラックスをぶっ壊す!」とか「崎陽軒のシュウマイを買わない」とかの発言こそ、品性と知性と感性が同時に・・・。何かの間違いでも国会議員になってしまったのだから、つまらないことをしていないで国民のためにしっかりと働いて欲しい。