ついにローラン・ボック自伝「BOCK!」を読了しました。全編ドイツ語、目次も写真も挿絵も無し。まるで魔法学校の教科書のようでした。
学生時代に第2外国語として「ドイツ語」を専攻していたことを思い出しました。・・・思い出した・・・程度の能力なので、そもそも原本を正確に翻訳する能力など、私は持ち合わせていません。毎夜毎夜、Goole先生に教わりながら、1ページずつ読みました。
ローラン・ボックのジェットコースターのような人生は、日本には伝わっていないエピソードだらけで、読み進めるほどに次の展開が気になりました。しかし、ドイツ語なのでなかなか前に進まないもどかしさがあります。多すぎる登場人物、地名はメモを残さなければ、書かれている状況を理解しきれません。エピソードもそれぞれ関連があるので、一つずつ記録しながらして読みました。おまけに日本人の感覚には無い比喩が多くて難解でした
■「BOCK!」
最初は、プロレスに関する部分のみに興味があり、特に1978年の欧州選手権シリーズ・猪木ツアーの部分だけを読むつもりでした。いったいあの猪木のヨーロッパ遠征は「何だったのか?」をボックの視点で読めたことは新鮮でした。そして、その前後を読むにつれ、だんだん止まらなくなって、遂に全編読んでしまいました。複雑な環境に育ったボック少年に深く刻み込まれたトラウマ。そしてミュンヘン・オリンピックを目指して、アマレスのヨーロッパ選手権制覇、プロレス転向。猪木戦。プロレスを引退した後の、逮捕。ディスコやレストランの経営、貿易業。タイ移住。そしてまた、逮捕状。プロレス以外のエピソードも、登場人物が個性的で、飽きることのないストーリーでした。
■ボックが経営 ライヒャルツハウゼンのホテル
「週刊ファイト」1982年1月5日号より
このホームページはプロレスのお話を中心に書いていますので、プロレスのエピソードを少しだけ紹介します。
ボックのプロレス転向は、1973年ですが、その9年前、1965年にプロレスのリングに上がっていたと書かれていました。対戦相手は、サンダー・ナジ。お祭りのテントでプロレスが開催されていて、ボックは友達と見物に行ったのです。そのテントでは、観客の中から「サンダー・ナジ」に挑戦する素人を募集していたのです。もちろん、何人かの観客が名乗りを上げても、最終的には観客に紛れた“サクラ”のプロレスラーが挑戦者に選ばれるのですが。ボックは何とそれに立候補し、成り行きで本当にリングに上がるハメになったのです。レフリーもレスラーのサンダー・ナジも予定外の展開に大変焦ったのですが、試合は始まってしまいました。もちろんドイツ最強と言われたボックに、お祭りのレスラーがかなうわけもなく、ボックの圧勝で賞金100マルクを手にしたのです。しかし、お祭りのイベントを潰してしまったので、「ヤバイから早く帰れ!」と言われて、早々に引き上げて事なきを得たというのが、おおまかなストーリーです。しかし、ボックはこの試合で足を負傷していました。それが尾を引いてアマレスの練習中に怪我をしてしまい、半年後の東京オリンピックに出場できなかったとのことです。
これについては、サンダー・ナジが何者なのかとか、どんなプロレス・テントだったのががとても気になりますが、もちろん写真も資料も全くなく調べようがありません。
猪木の参加した、1978年の欧州選手権シリーズで、最も語られる試合は、もちろんシュツットガルトのボック戦ですが、その他の試合のエピソードも数多く掲載されています。
■欧州世界選手権シリーズ・猪木ツアー
猪木vs.ルスカ
猪木vs.ボック
猪木vs.ミルデンバーガー
猪木vs.オイゲン・ヴィズバーガー
猪木vs.デートリッヒ
猪木vs.ボック
■第9ラウンド 猪木の頭突きでボックが流血
「ワールドプロレスリング」TV放送キャプチャ
著作権の問題もあるので、全部は紹介できませんが、一部をリンクで紹介していますので、興味のある方はお読みください。
たとえば、デートリッヒは猪木に厳しい攻撃ばかりを仕掛けたと伝えられていますが、ボックに言わせれば、事前に煽った“キラー猪木”というプロパガンダと事前に見せられたビデオにビビってプロレスが出来ず、あんな試合になったということです。
また、シュツットガルトでの猪木戦、東京後楽園ホールでの猪木戦の舞台裏も書かれています。
読み終わったときには、単語を調べまくって、内容を記録した膨大なメモが残りました。そのメモを元に、日本で出版されている数多くの雑誌や、ビデオの映像などから知ることの出来るローラン・ボックの客観的な事実と照らし合わせて、「BOCK!」に書かれている彼の回想の一部を第三者の視点で、このHPに「ちょい読み」的に書いてみました。
この本「BOCK!」はローラン・ボックの言葉をライターがボックの自伝としてまとめた本なので、ボックの記憶違いや、ライターの脚色も多く含まれているようです。それについて、様々な記録やデータで確認できる部分にはコメントを付けてみました。 また、各種資料と見比べると、人名やバー、ディスコなどの店名は、仮名が多く使われており、地名も置き換えられていると思われる部分もあるので、あくまで実話に基づいた小説ととらえた方がいいかもしれません。
全300ページの「ボック自伝」ですので、このホームページに全てを紹介することは無理がありますが、ほんの一部だけ書きためたメモをリライトしても、ボックの人生が見えてくるような気がします。機会があれば少しずつ追加していきたいと思います。リンクで紹介した文章の「・・・・・」の前後には書き出している内容の100倍ぐらいの膨大な情報があります。何らかの方法でこのHPを見ていただいている、ローラン・ボック好きの方(たぶん、2~3人)にお伝えできれば良いなと思っています。
内容を整理して、目次的に書き出していますので、こちらもご覧ください。
プロレス雑誌の表紙集のギャラリーページも見てね。
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〈イノキが亡くなったことを2022年10月2日に聞いて、その突然の死にショックと大きな悲しみを覚え、あまりの悲しみに涙せずにいられなかった…〉
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) June 1, 2023
“地獄の墓掘人”伝説のプロレスラー:ローラン・ボックからのメッセージとロック。アントニオ猪木を悼む(山崎智之) https://t.co/NtySPWdhM2
一番最後にローラン・ボック(笑) pic.twitter.com/c9qmaTBdp1
— ねひつじ (@nehitsuji) December 12, 2021