■1978年1月23日のインドネシア・スラバヤ大会
アントニオ猪木が真ん中にレイアウトされている
1978年1月23日のインドネシア・スラバヤ大会のポスターです。
我らがアントニオ猪木がど真ん中にレイアウトされています。
1978年と言えば、タイガー・ジェット・シンがアジアサーキットを計画していた時期で、週刊ファイトのI編集長がサムライTVの「闘いのワンダーランド」のトークで次のように語っています。
I編集長)「当時シンはアジアサーキットというのを考えていたんですよね。インド、パキスタン、シンガポール、フィリピンとか、そういったところをサーキットする計画ですよ。自分がプロモーターであり、オーナーであって、サーキットのトップレスラーとして闘う。そのサーキットには新日本プロレスの協力が必要だから、そこで上田に新日本プロレスとのパイプ役を果たしてもらおうと考えていたんです。だからシンは上田に“お前がオレの片腕としてやってくれ”と話しておったんですね。その話は上田も“イエッサー”と言って快諾していたんです」
■I編集長のコメント
電子版「週刊ファイト」352号
引用されている当時の週刊ファイトの記事にも「(1978年の)秋にインドでやる」と見出しが出ています。
そうだったのか、インドとインドネシアの違いはあるにしろ、この計画が進んでいたのか・・・・と思いましたが、1978年1月23日は「新春黄金シリーズ」のまっただ中です。この日、新日本プロレスは、ちょうど九州地方をサーキットしています。この日アントニオ猪木は、大分県・大分県営体育館でストロング小林と組んで、タイガー・ジェット・シン、バディ・ロバーツ組と試合をしています。実際にはインドネシアには行っていないようです。
■猪木vsアリ再戦「来春には中東で実現」
別冊ゴング1977年7月号より
当時のプロレス紙誌をめくってみると、別冊ゴング1977年7月号には、猪木vsアリの再戦が「来春には中東で実現」と言う記事、週刊ファイト1977年11月29日付けには「フォアマン戦、韓国で開催か」、また、週刊ファイト1977年12月20日付けには、「アリ再戦戦、四月にニューヨークで」など、猪木の海外戦略の予想が数多く掲載されています。
■アリ再戦戦、四月にニューヨークで
週刊ファイト1977年12月20日付けより
■フォアマン戦、韓国で開催か
週刊ファイト1977年11月29日付けより
しかし、残念ながらインドネシア遠征の記事は全く見つかりません。この時期の新日本プロレスとアントニオ猪木は、異種格闘技戦路線を邁進中でした。
■チャック・ウェップナー戦を分析する月刊プロレス記事
月刊プロレス1977年12月号より
このインドネシア・スラバヤ大会のポスターは、いったい何なのか。私的見解としては、インドネシアの興行主がそもそも契約もしていない、出場予定も無いアントニオ猪木の写真を無断で使って、プロレス大会の開催をPRしたものでは無いかと思います。たぶん、新日本プロレスも猪木も新間さんも、こんなポスターが出来ていたこと自体知らなかったのではないでしょうか。
ネットでつながらない時代、トンデモ無いポスターかもしれませんが、逆に言えばなんでも有りの面白い時代だったのかなと思います。(と、勝手にインドネシアの興行主を悪者にしてしまいました)
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なぜ俺らがアントニオ猪木に熱狂したか、おわかりいただけただろうか。 pic.twitter.com/bTnhzGAaem
— 昭和プロレスpasin (@Zq7H0cfDKCjUn8E) January 21, 2024
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— ミック博士★4.6昭和プロレス超復活祭 (@mickhakase) January 21, 2024