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1960年2月に日本プロレスに入門した猪木寬至は、その年の9月30日、台東体育館でデビュー戦を行いました。馬場正平との同日デビューでリング上から挨拶。この挨拶が行われたことだけでも、この二人の将来が期待されていたことがわかります。
そして猪木の対戦相手は猪木より一年先にデビューしていた大木金太郎。大木金太郎の頭突きの連打にダウン、逆腕固めで負けてしまいました。と、いかにも知っているように書いていますが、私はまだ生まれてもいません。
大木金太郎vs猪木寬至、ド迫力。(ちょっと違う?)デビュー戦でこの闘いができていたら恐ろしいです。
試合後にはリング上からお客さんに丁寧に挨拶。一方、同門の馬場正平は田中米太郎相手に又裂きでデビュー戦を勝利しました。元プロ野球選手としてネームバリューがあり、いかにもプロレスラーとして見栄えのする巨体の馬場正平を売り出そうととした力道山の意図は、客観的に見ても正解だと思います。そして猪木の不屈の闘魂はこの日から始まったのですね。
そして30年後、1990年9月30日横浜アリーナ「猪木30周年メモリアルフェスティバル」で宿敵、タイガー・ジェット・シンとのタッグ。ビッグバン・ベイダー&アニマル浜口コンビと対戦して勝利しました。この時は既に国会議員、このあとイラク人質解放という偉業を成し遂げます。プロレス入門、離脱、復帰、除名、独立、大物日本人対決、格闘技戦、プロレスブーム、ハイセル、IWGP、新日プロ分裂、ソ連、東京ドーム、参議院選挙、30年の年月って凄いですね。それに比べて、どおってことない自分の30年の年月は何だったんだろうと思ってしまいます。
さらにその後の30年も激動でした。2020年9月30日、「猪木60周年メモリアルフェスティバル」をやって欲しいです。
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