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ドイツPower Wrestlig誌にアンドレ没後30年の追悼記事(2024/3/22更新)

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■ドイツPowerWrestling誌(2023年12月号)表紙
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 ドイツのプロレス専門誌「Power Wrestling」2023年12月号を入手しました。この号には昨年2023年が「アンドレ・ザ・ジャイアント没後30年」ということで、アンドレがフランスで育った少年時代、プロレスラー時代の活躍、晩年の病気との闘いなどについて、3ページの特集が組まれていました。その記事を要約して紹介します。

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■アンドレ・ザ・ジャイアントの追悼特集記事
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Power Wrestling 2023年12月号より

 本名アンドレ・ルネ・ロシモフは1946年5月19日、フランス北部の町で農場を経営する一家に生まれ、5人兄弟の真ん中で育った。体内の成長ホルモンが過剰に分泌される巨人症を患い、12歳の時には身長が191cmにもなっていた。学生時代はその体格を生かしてサッカー、ラグビー、バスケットボールなどでも活躍した。

 14歳でハイスクールに通うことをやめ、農業の手伝い、大工の見習いなどをはじめた。その後は引っ越し業者や用心棒として生活資金を賄う生活だった。

 1965年に元ボクサーでプロレスラーとしても活躍したロバート・ラギート(Robert Lageat)と出会い、プロレスラー人生をスタートすることになった。実際のプロレスのトレーニングでは、元プロレスラーのマイケル・ソルニエ(Michael Saulnier)の指導を受け、1966年1月25日のルーアン(Rouen:フランス北部のセーヌ川沿いの都市)の大会でプロレスデビュー戦を闘った。リングネームはフランスの国民的英雄にちなんでジーン・フェレ(Géant Ferré)と名乗り、この時点では身長209cm、体重135kgの巨体になっていた。また、その翌1967年には、映画『Die sieben Masken des Judaka(ジュダカの七つの仮面)』で俳優デビューも果たしている。

■映画『Die sieben Masken des Judaka』
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このバージョンに出演しているのかは未確認

 1970年から日本のマットにも頻繁に上がるようになり、国際プロレスの第3回ワールドシリーズでは優勝の栄誉を与えられた。1970年代の前半は日本の国際プロレスに参加したが、国際プロレスの財政難を知り、ファイトマネーを返上したという話もある。1970年代のアンドレは年収は40万ドル(現在の貨幣価値に換算すると4億円前後)を稼いでいたといわれている。

アンドレ・ザ・ジャイアント
「週刊ファイト」より

 1980年代に入ると、アンドレはアメリカWWFと日本のNJPWで、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ハルク・ホーガンなどと闘った。特にハルク・ホーガンとの試合は人気を博し、米プロレスリング・イラストレイテッド誌では1980年ベストマッチ2試合のうちのひとつに選ばれている。(もう1試合はブルーノ・サンマルチノ対ラリー・ズビスコ)

■アンドレ・ザ・ジャイアントvs.ハルク・ホーガン
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Power Wrestling 2023年12月号より

 ハルク・ホーガンはインタビューで、尊敬するアンドレ・ザ・ジャイアントとの試合は常に恐くて、毎回試合前には緊張で吐き気に見舞われるほどだったと語っている。

■アンドレとの対戦は常に恐かった

HBO Documentary ”Andre the Giant" より

■テレビ番組「Piper's Pit」より
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HBO Documentary ”Andre the Giant" より

 しかし、その頃アンドレは体重が230kgを越え、激しい腰痛に悩まされるようになっていた。さらに足首を骨折し、体調は最悪の状態だった。しかし、ビンス・マクマホン・ジュニアにとっては、アンドレの人気と10年以上かけて築き上げた神話的なオーラは興行に不可欠だった。そこで、マクマホンはアンドレをホーガンに敵対する悪役に転向させ、新たなスター、ハルク・ホーガンを次のレベルに引き上げることを考えた。

■ビンス・マクマホン・ジュニア
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Power Wrestling 2023年12月号より

 そして、1987年3月、9万人のファンが集まった「レッスルマニアⅢ」でこのライバル関係は最高潮に達し、ハルク・ホーガンは10年以上誰もなしえなかったアンドレからのスリーカウントでの完全勝利を奪い取った。この瞬間は多くのプロレスファンの記憶に残っている。

■レッスルマニアⅢ
HBO_Andre

HBO_Andre
HBO Documentary ”Andre the Giant" より

 その後、アンドレの健康状態は著しく悪化し、プロレスのリングに登場する回数も激減していった。1989年には、ジェイク・ザ・スネーク・ロバーツとの一次的な抗争、ビッグ・ジョン・スタッドとの対戦などもあったが、それ以降シングルマッチでの試合は出来なくなっていた

 さらに1990年代に入ると、アンドレは歩行に松葉杖が必要になっていた。それでも1992年12月4日には日本で最後の試合を行っている。

■アンドレ・ザ・ジャイアント/ジャイアント馬場
アンドレと馬場
週刊ファイト(1990.11.15号)より

 そして1993年1月27日の朝、パリの名門ホテル「ラ・トレモワイユ(La Tremoille)」のルームサービス係だったマダム・トレショワがリネン交換のため246号室を開けたとき、心不全で倒れているアンドレ・ザ・ジャイアントを発見することになった。この時の彼の帰郷の理由は決して楽しいものではなかった。 アンドレは亡き父親の葬儀のために故郷のフランスを訪れていたのだった。

■ホテル・トレモワイユ・パリ
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https://www.hotel-tremoille.fr/en/ より

 彼の死後、WWEはアンドレ・ザ・ジャイアントを新たに発足させたWWE殿堂の最初のメンバーとした。また2014年には元ライバルのハルク・ホーガンの発案で「レッスルマニア30」から故アンドレに敬意を表したバトルロイヤルが開催され、優勝者にはアンドレ・ザ・ジャイアント記念トロフィーが贈呈されている。

■記念トロフィー
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https://ja.wikipedia.org/wiki/アンドレ・ザ・ジャイアント より

■アンドレ・ザ・ジャイアントは常にスターだった
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Power Wrestling 2023年12月号より

 アンドレは、1967年の映画デビュー以来、エンターテインメントの分野でも活躍した。
■テレビシリーズ
・Der Sechs-Millionen-Dollar-Man(600万ドルの男)
・Ein Colt für alle Fälle(万能銃)
■映画
・Conan, der Zerstörer
 (キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2 1984)
・Micki und Maude
 (結婚ダブルス/ミッキー&モード)
・The Princess Bride
 (プリンセス・ブライド・ストーリー)

 特に、時代を超越した美しい文学作品『プリンセス・ブライド・ストーリー』はアンドレの最も有名な作品で最高の役を演じている。

■映画『The Princess Bride』
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出演者のクレジットにも「アンドレ・ザ・ジャイアント」の名前がしっかりと記載されている

 アンドレは生涯結婚をしなかったが、ロビン・クリステンセン=ロシモフという名の娘を残している。

■ロビン・クリステンセン=ロシモフ(右)
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Power Wrestling 2023年12月号より

 アンドレは生前、「私は、決して自分のことを奇異な目で見ることのなかった大好きな動物たちと一緒の場所に埋葬されたい」と話していた。遺灰は、彼の所有したノースカロライナ・エラーブ(Ellerbe, North Carolina)の農場の土に戻されている。

"Ich möchte bei meinen Tieren beerdigt werden. Es waren die einzigen Lebewesen, die mich niemals komisch ansahen."

■HBO Documentary ”Andre the Giant"
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HBO Documentary ”Andre the Giant" より

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 記事を要約して書くつもりが、結構長くなってしまいました。フランスでのプロレスデビューの経緯などは、定説とは少し違いがありますが、たぶんアンドレのフランス時代の出来事は、正確な記録や情報が少ないのでしょう。

 日本では、モンスター・ロシモフとして活躍した国際プロレス時代、アンドレ・ザ・ジャイアントとしてアントニオ猪木と激闘を繰り広げた新日本プロレス時代、そして晩年にジャイアントタッグを結成した全日本プロレス時代が、それぞれ印象に残ります。

 このドイツでの記事では「国際プロレスの窮状にファイトマネーを返上した」「亡くなる2ヶ月ほど前には、日本で最後のリングに上がった」とのエピソードが書かれています。この他にも日本ではストロング小林アントニオ猪木と名勝負を繰り広げ、最後にジャイアント馬場とのタッグを実現させましたが、残念ながら記事には具体的な日本人レスラーとの対戦やタッグ結成の記述はありませんでした。やはり世界的には、ハルク・ホーガンとの抗争が最も特筆すべき闘いのようです。ただ、「アントニオ猪木との試合」とされる写真が掲載されており、日本での活躍にも焦点が当てられていることは嬉しく思います。

■写真のクレジットは「Andre vs. Antonio Inoki」
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Power Wrestling 2023年12月号より

 しかしこの写真、アントニオ猪木に似ていますがなんとなく違和感があります。それにレフリーも首にはホイッスルのようなものが。ドイツの編集者にとっては、東洋人の顔が全部同じに見えて写真を取り違えてしまう気持ちも分からなくもないです。Power Wrestling誌は、WWE、AEW、女子プロレス、そして日本のプロレスの話題も豊富です。


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Power Wrestling 2023年12月号より

【関連記事】

■アンドレ・ザ・ジャイアントのドキュメンタリー番組

■全盛期の馬場vsアンドレ

■ロシモフを「バケモノ」扱いしたことが間違いですよ。

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