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1987年10月26日がアントニオ猪木さんのお母さん(文子さん)の命日だそうです。1987年10月と言えば、倍賞美津子さんとの離婚したばかり、4日には巌流島でマサ斎藤とやけくそな闘いをした年です。
10月25日が'87闘魂シリーズ最終戦。両国国技館でスティーブ・ウィリアムスとのIWGP防衛戦はパワーに苦しみながらも、なんとかリングアウト勝ちでした。体調が悪い時には頭の位置が低くなる猪木の延髄斬り。でもかっこいい。
スティーブ・ウィリアムスは元気いっぱいで大暴れだったようですが、週刊プロレス、ターザン山本氏の記事には「体調が悪い相手(猪木)とこんな試合しかできないようでは、ウィリアムスはいつまでたっても一流にはなれない」と書かれています。
普通に試合を見ていれば、ウィリアムス強し、猪木は情けない、と感じてしまいますが、そんな表面上のことを書かないところが山本氏の奥の深いところですね。言われてみればその通りです。
一方で「猪木には覇気がなかった、急に老け込んだ」と書かれています。この状況では仕方なかったのかなと思います。猪木は26日の早朝、サンパウロの母の元に飛んだとのことですが、間に合わなかったようです。もう一日早くシリーズが終わっていれば間に合ったかも知れません。それでもシリーズの打ち上げではニコニコしてジョークを飛ばしていたので、周囲から「離婚したのに、どおってことない顔だな」などと言われていたようですが、離婚したばかり、さらに母も危篤の状況では心の中では打ち上げパーティーどころではなかったんでしょう。でも、強がっている猪木、人前では常に「アントニオ猪木」を貫く猪木、かっこいい。
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【コーラルゼットよりのお知らせ】
— アントニオ猪木 (@Inoki_Kanji) October 23, 2019
アントニオ猪木会長が11月5日発売の「KAMINOGE vol.95」に登場致します。
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「振り返ってみれば、あまり難しいことを
考えて動いたことがないんだよね。
いちばん大事なのは直感力だと思う。
直感だなんて言うと馬鹿にされるんだけどさ」 pic.twitter.com/CFsm8AqxyM
結局、「猪木、かっこいい」というお話になってしまいました。